WRCを連覇した史上最強のセリカ
“流面系”の愛称で知られた4代目からはキープコンセプトで1989年に登場した5代目、T180型セリカですが、やはりWRCでの活躍が目立っています。
市販モデル(ベースモデル)にブリスターフェンダーを装着したワイドボディのGT-FOUR Aをラインナップするなど“援護射撃”も十分でしたが、シャシー面でもパワーユニット面でも大きくポテンシャルが引き上げられており、92年にはカルロス・サインツが、トヨタで2度目のドライバーチャンピオンに輝いています。
さらに翌93年にはユハ・カンクネンがドライバーチャンピオンに輝くとともに国産メーカーとして初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。見事、二冠に輝いています。さらに94年の1000湖(現ラリー・フィンランド)では後継のST205にバトンタッチするはずが、開発に遅れが生じ、さらに数戦を戦うことになりましたが、結果的に94年シーズンも5勝を挙げて連覇に貢献していました。
一方、レースでは出場できるカテゴリーの関係からか、メジャーシリーズで活躍したシーンは、あまり多くありませんでした。それでもストック写真を探していたら、90年のロングビーチGP=CARTとIMSAのダブルタイトル戦でオフィシャル・ペースカーに採用されているのを発見しました。これもレースでの活躍ですよね。
最新技術が仇となった悲運の6代目
1993年に登場した6代目、T200型セリカもまた、先代同様、WRCの主戦マシンとなりました。市販モデルとして好評だった最新技術、スーパーストラット(SS)サスペンションが、WRC用の競技車両、グループA仕様でも採用されていましたが、この開発・熟成に時間が費やされてしまった結果、デビューイベントが大きくずれ込んでしまうことになりました。
さらにリストリクター(吸気制限)が厳しくなったことでパワーダウンしてしまい、これもドライバーから不満の声が上がっていたようです。結果的にはデビュー初年度に(先代モデルが5勝したこともあって)2年連続して二冠に輝いていますが、6代目の初優勝は、翌95年のツール・ド・コルス(現ラリー・ド・フランス)まで待たされてしまいました。
さらに同年のカタルニア(現ラリー・デ・エスパーニャ)ではリストリクターに関する技術規定違反が露見、FIAからはシーズンの全ポイント剥奪&1シーズンの出場停止が言い渡されてしまい、結局WRCでは1勝したのみでした。
一方、レースにおいてはSUPER GTの前身である全日本GT選手権(JGTC)での活躍が印象に残っています。98年のシリーズ第4戦でデビューしたセリカは、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で活躍していたエクシヴの主要コンポーネントを移植して製作されていました。
デビュー戦で7位入賞を果たすと残り3戦では2位~2位~3位と3戦連続して表彰台をゲット。シリーズでも2位に進出していました。99年、2000年にもRACING PROJECT BANDOHが、それぞれ1勝を挙げていますが、惜しくもタイトルには手が届きませんでした。