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消滅した伝説の車名「セリカ」! 世界に名を轟かせた「偉大すぎる」モータースポーツの歴史とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: トヨタ、童夢、TOYOTA GAZOO Racing、富士スピードウェイ、原田了、Auto Messe Web編集部

FRにコンバートされSUPER GTで活躍した7代目

 6度目のフルモデルチェンジを受け、1999年に登場した7代目、T230型セリカにはGT-FOURの設定がなく、WRCにもデビューすることはありませんでした。代わって、よりコンパクトなボディを持ったカローラWRCが主戦マシンとなり、97年シーズンからテスト参戦を開始しています。1987年に登場したカローラWRC

 ちなみにカローラWRCは、レギュラー参戦となった98年にはトップコンテンダーとして名乗りを挙げ、翌99年にはトヨタにとって3度目のマニュファクチャラータイトルを獲得しています。WRCからは撤退しましたが、全日本ラリー選手権では2輪駆動部門で活躍。またスーパー耐久シリーズでもその雄姿を見せていました。1987年に登場したカローラWRCリアビュー

 しかし7代目セリカが最も注目されていたモータースポーツシーンは、やはりSUPER GTでしょう。03年のシリーズ第3戦(JGTC)からサーキットに戻ってきたセリカですが、先代(6代目)が前輪駆動だったのに対して、この7代目は後輪駆動にコンバートされていたのが最大の特徴でした。2003年のJGTCに出場をした7代目セリカ

 実はGT500を戦っていたスープラからエンジンや駆動系、サスペンションなどの主要コンポーネントを移植して製作されていたのです。08年のシリーズ第2戦(SUPER GT)まで足掛け6シーズンを戦って都合4勝。惜しくもタイトルを奪うまでには至りませんでしたが、毎レースのように激戦を繰り広げるSUPER GTのGT300クラスにおいて、欠かすことのできないキャラクターを演じていたのは間違いありません。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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