リッター100馬力がひとつの基準だった
ライバルは各メーカーから登場したが、とにかく過激で、ひとつの基準となったのが「リッター100馬力」。360ccなので、36馬力出せればリッター100馬力になるが、ホンダ以外は2ストロークで対応しつつ、多連装キャブ化や高圧縮化、4ストのマフラーにあたるチャンバー形状の最適化など、メカチューンを施して実現した。
昭和43年はとくにスポーツモデル豊作の年で、ダイハツのフェローSSが32馬力。ホンダもN360にTシリーズというスポーツモデルを設定して、こちらは36馬力。スズキのフロンテSSも同様に36馬力を達成しつつ、すでに時代遅れ感もあったスバル360もヤングSSが馬力を達成して面目躍如といったところだった。
価格もN360TSが37万3000円、フロンテSSが39万9000円、スバル360ヤングSSが38万5000円と、過激チューンモデルだからといって、大幅に高いことはなかったのも注目だろう。
そしてリッター100馬力を初めて超えたのが、昭和44年に登場した三菱のミニカ70 GSSで、38馬力を達成。そして史上最強である昭和45年に出たフェローマックスSSが、40馬力を発生したことで、パワー戦争にピリオドは打たれたと言っていい。
ちなみにスバル360は昭和44年にR-2にスイッチし、ラリーキットなどスポーティさをアピール。36馬力を発生するGSSも用意され、0→400m加速19.9秒を誇ったが、短命に終わってしまった。
価格&パワー戦争の火付け役であるホンダも、N360からライフへとスイッチ。1972年に登場したツインキャブ、ハードサス化したツーリングは36馬力で、高回転までキッチリ回して楽しめるスポーティな味付けが話題になった。また、派生車種として軽初のスペシャリティカー、Zもクルマ好き、走り好きを中心に人気を博した。
最終的には昭和49年に起こったオイルショックによって、それまで残っていた軽のスポーツモデルも続々と姿を消し、残ったとしてもパワーダウンを余儀なくされた。とはいえ、たった360ccからリッター100馬力を叩き出すという、サブロクパワー戦争は日本の自動車史に残るものと言っていいだろう。
ちなみに各車どれも、現代のクルマと同じような意識ではエンジン始動すらままならず、走り出してもかなりピーキーで、乗りこなすにはテクニックが必要とされ、苦労はしたが面白い乗り物であったのは事実だ。