「パワー戦争」のきっかけはホンダ・N360の登場
軽自動車は実用性も高くて、安価。庶民の味方でもあるだけに、いつの世もライバル争いは激しいジャンルだ。今でもハイト系などで、しのぎを削っている。一方、軽自動車が市場として確立しつつあった時代はさらに過激だった。昭和20年代にもマイクロカー的なモデルがいくつか登場したが、昭和33年に登場したスバル360で一気に人気が高まり、軽自動車というカテゴリーを作り上げた。
スバルの人気に続くべく、各メーカーからライバルが続々と登場したが、次第に市場は成熟していく。そうなると競争は激化することになるのは当然のことで、注目すべきはまず価格戦争だ。衝撃的だったのは昭和43年に登場したホンダのN360で、ライバルが40万円前後だったのに対して、大幅に下回る31万3000円という価格だった。
わずか数万円と思うかもしれないが、大卒の初任給が3万5000円ぐらいだった時代だけに、今に置き換えると50万円ぐらい安くなった感じだろうか。経済状況考えると実際にはそれ以上と言ってよく、もちろんライバルも追従するが、N360はバイク譲りの空冷など、コストダウンを図る余地が多かっただけに、同レベルまで安くするのは事実上不可能だった。
そしてもうひとつ、N360がきっかけで起ったのが、パワー戦争だ。安価というだけでなく、31馬力というスペックを誇ったのがN360で、これは当時としては驚異的。それまでの軽はどれも実用性を重視していたということもあるが、20馬力少々というのが当たり前だっただけに、いきなり30馬力超えは驚愕すべきもの。
ここに飛びついたのが、当時のクルマ好きたちで、中古車を月賦でなんとか購入しつつ、チューニング。また、各地では草ジムカーナが活発に開催されて、360ccの軽たちが大挙して参加した。
リッター100馬力がひとつの基準だった
ライバルは各メーカーから登場したが、とにかく過激で、ひとつの基準となったのが「リッター100馬力」。360ccなので、36馬力出せればリッター100馬力になるが、ホンダ以外は2ストロークで対応しつつ、多連装キャブ化や高圧縮化、4ストのマフラーにあたるチャンバー形状の最適化など、メカチューンを施して実現した。
昭和43年はとくにスポーツモデル豊作の年で、ダイハツのフェローSSが32馬力。ホンダもN360にTシリーズというスポーツモデルを設定して、こちらは36馬力。スズキのフロンテSSも同様に36馬力を達成しつつ、すでに時代遅れ感もあったスバル360もヤングSSが馬力を達成して面目躍如といったところだった。
価格もN360TSが37万3000円、フロンテSSが39万9000円、スバル360ヤングSSが38万5000円と、過激チューンモデルだからといって、大幅に高いことはなかったのも注目だろう。
そしてリッター100馬力を初めて超えたのが、昭和44年に登場した三菱のミニカ70 GSSで、38馬力を達成。そして史上最強である昭和45年に出たフェローマックスSSが、40馬力を発生したことで、パワー戦争にピリオドは打たれたと言っていい。
ちなみにスバル360は昭和44年にR-2にスイッチし、ラリーキットなどスポーティさをアピール。36馬力を発生するGSSも用意され、0→400m加速19.9秒を誇ったが、短命に終わってしまった。
価格&パワー戦争の火付け役であるホンダも、N360からライフへとスイッチ。1972年に登場したツインキャブ、ハードサス化したツーリングは36馬力で、高回転までキッチリ回して楽しめるスポーティな味付けが話題になった。また、派生車種として軽初のスペシャリティカー、Zもクルマ好き、走り好きを中心に人気を博した。
最終的には昭和49年に起こったオイルショックによって、それまで残っていた軽のスポーツモデルも続々と姿を消し、残ったとしてもパワーダウンを余儀なくされた。とはいえ、たった360ccからリッター100馬力を叩き出すという、サブロクパワー戦争は日本の自動車史に残るものと言っていいだろう。
ちなみに各車どれも、現代のクルマと同じような意識ではエンジン始動すらままならず、走り出してもかなりピーキーで、乗りこなすにはテクニックが必要とされ、苦労はしたが面白い乗り物であったのは事実だ。