平成から令和を駆け抜けた日産スポーツカーの歴史を紐解く!
前編では初代から3代目までの歴史を紹介したので、今回は残る4代目から6代目(現行)。バブル期の勢いそのままに、エンジン、シャシーからエクステリア、インテリアに至るまで新たなるチャレンジを行った4代目のZ32型。リバイバルプランの立役者として、コストを低減しながら、スポーツカーとしての高みを目指した5代目Z33型。そして、ピュアスポーツとしての性能をさらに引き上げた6代目Z34型。平成から令和を駆け抜けた日産スポーツカーはどのような歩みをたどったのかを振り返りたい!
【4代目・Z32型】専用シャシー&エンジンを採用した国産初の280psカー
バルブの好景気という後押しと「1990年代までに技術の世界一を目指す」という901活動による技術革新よる恩恵を受けて’89年登場の4代目フェアレディZ(以下Z32)はスポーツカーとして大きな飛躍を遂げることになる。
専用シャーシの採用で、スタイリングは先代までのロングノーズ、ショートデッキからショートノーズのワイド&ローの3ナンバー設計となったことでトレッドが拡大。デザインはZ31後期型のイメージを踏襲するものの、ボンネットは低く、一体感のある伸びやかでエレガントなシルエットに刷新され、ヨーロッパ車に負けない洗練されたフォルムを手に入れた。また、2シーターと2by2をそれぞれ専用にデザイン(ボディも別)。これまでの間延びしたような2by2のスタイルが解消されたことで、人気が高まった。
インテリアも直線的なシャープなデザインから曲線を基調とした包み込まれるようなタイトなものに刷新。ドアトリムやダッシュボード下にシートと同じ生地を配し、デザインの連続性を表現するなど、新しいチャレンジも多数盛り込まれ、欧州車の真似ではないモダンでスタイリッシュなスポーツカーに生まれ変わった。 エンジンは国産車初の280psの馬力自主規制到達エンジンとなったZ32専用のVG30DETT型(280ps/39.6kg-m)とVG30DE型(230ps/27.8kg-m)の2種類のDOHCエンジンを用意。サスペンションは最新の4輪マルチリンク式で、4輪操舵システムのスーパーハイキャスも装備した。ブレーキもフロント4ポット、リア2ポットの大型サイズが奢られるなど、Z31よりも1ランクも2ランクも基本ポテンシャルを高めている。
’92年には歴代フェアレディZとしては初となるコンバーチブルが追加(エンジンは3LのNAのみ)。ロールバーが残ったものの、解放感はTバールーフの比ではなかったが、残念ながらこのクラスで幌の開閉が手動であったこともあり、思ったほどの人気を得られなかった。
先進的なスタイリングと高いパフォーマンスを誇ったZ32は発売当初こそ、販売は好調であったが、バブル崩壊の影響を強く受け、販売台数は徐々に低迷。そのため、廉価版のバージョンSやスポーティなバージョンRが投入されるなど、意外にバリエーションは幅広い。
外観のリファインとコンバーチブル用の補強ボディ採用という最後の改良が施された約2年後の’00年9月に生産を中止。’69年から続いてきたフェアレディZの歴史はいったん途切れることになる。
【5代目・Z33型】華麗なる復活! 毎年進化し続けたピュアスポーツ
Z32の生産中止からわずか数カ月後の’01年1月の北米デトロイトショーでプロトタイプが披露され、早期の復活をアピールした新型フェアレディZ(以下Z33)。2001年10月の東京モーターショーで最終プロトタイプが発表された後、’02年7月に国内販売を開始した。アメリカでは先行予約が開始され、発売前に8000台を受注。いかにアメリカ市場でZ復活が待ち望まれていたのかがうかがい知れる。
切れ長のフロントヘッドライト、センターコンソール上の丸型3連メーターなど初代S30Zをオマージュしたデザインを内外装に採用し、Z復活を高らかにアピール。S30Zから受け継がれたのはスタイルだけでなく、「高性能を誰でも手に入れられる価格で」というコンセプトも踏襲している。
そのため、Z32のような専用シャシー&専用ボディを止め、スカイラインと共通のFR-Lプラットホームをショートホイールベース化して採用。エンジンもVQシリーズから最大排気量のVQ35DE(28ps/37.0kg-m、ミッションは6速MT/ 5速ATに進化)をチョイスし、サスペンションも11代目スカイラインと共用化している。さらには2by2のボディを廃止し、2シーターに1本化するなど開発費を低減することで、ベース車はZ32よりも安い300万円〜を実現した(北米では3万ドル~)。
また、「Zは毎年進化する」と発表時に当時の開発責任者である湯川伸次郎氏が宣言したとおり、’03年には先代のコンバーチブルに変わるオープンモデルのロードスターがリリース。トップの開閉が手動式から電動式に変更されたことが何よりのトピックだ。
同年には全日本GT選手権参戦用のホモロゲーションモデルである「タイプE」、タイプEのエアロパーツをまとい、300psまで出力を高めたニスモのコンプリートモデル「SチューンGT」も登場。
’05年には馬力の自主規制撤廃を受けて、294ps(MT車のみ。トルクは35.7㎏-mにダウンし、高回転型に)に、’07年1月にはシリンダーヘッドに改良を施したVQ35HRを搭載(ボンネットにはバルジが設けられたことで識別可能)され、スタンダードモデルも30psを上回る313psに到達。同年6月に発売となったコンプリートカー、バージョンNISNO Type380RSに至っては350psを発揮した。
加えて、デビュー当時チープと言われたインテリアも’05年に質感をアップし、車格に相応しいクオリティを備えるなど、スポーツカーとして最後まで一線級を保ち続けた。
無駄をそぎ落とし、合理化が進められた一方で、S30Z以来のピュアスポーツへと原点回帰したZ33は、日産のV字回復のイメージリーダーとして大きな役割を果たした。現在は性能に対して中古車価格が安く、FRスポーツ入門車としてもオススメの1台である。