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いまでも「消えたこと」が謎! ネームバリューもモータースポーツ戦績も圧倒的なトヨタ・セリカの偉大さ

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: トヨタ、富士スピードウェイ、原田了、Auto Messe Web編集部

モータースポーツでも成績を残し大活躍

 セリカは歴代モデルがモータースポーツで活躍した、国産の中でも数少ないブランドの一つです。レースではモデル誕生の翌71年にツーリングカークラスでレースデビュー。ワークス参戦で1600㏄以下のクラス無の存在になりました。

 73年にはTE27系のレビン/トレノに後を託して2000GTが1601㏄以上のクラスに参戦しましたが、スカイラインGT-R vs サバンナRX-3の過激なバトルの陰に隠れて苦戦しました。その後は、より改造範囲を広げたRクラスとして参戦。72年の鈴鹿1000kmではサスペンションを大幅に改造したセリカ1600GT-Rが高橋晴邦/竹下憲一組のドライブで優勝。また73年の富士1000kmでは2T-Gにターボを装着(最高出力260馬力)したセリカLBターボで高橋晴邦/見崎清志組が優勝を飾っています。1973年に富士1000kmに出場したセリカLBターボ

 さらに79年にはドイツのシュニッツァーが製作したグループ5仕様のシルエットフォーミュラ、18R-G+ターボで最高出力560馬力のセリカ・ターボをトムスが輸入。富士のスーパーシルエットレースで度肝を抜く速さを見せつけています。ドイツのシュニッツァーが製作したグループ5仕様のセリカ・シルエットフォーミュラ

 一方、国際ラリーでは72年、オベ・アンダーソンと契約してWRCに本格参戦を始めた当初の主戦マシンが初代セリカでした。メジャーデビューとなった同年のRACラリーでは、ほとんどノーマルに近い仕様ながらオベ・アンダーソンの懸命のドライブで総合9位/クラス優勝を果たしています。オベ・アンダーソンが操ったセリカラリー

 その後はカローラ・レビンやスープラなどベースモデルを替えながら参戦を続け、やがては世界のトップに立つことになるトヨタのWRCプロジェクトですが、そのパイオニアを果たしたのは国産初の「スペシャリティカー」初代セリカだったのです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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