クーペもハッチバックも人気だった初代モデル
乗用車の、ひとつのカテゴリーとして「スペシャリティーカー」が登場したのは1960年代半ば。フォード・マスタングがその嚆矢とされています。その爆発的なヒットにより、ビッグ3のゼネラル・モータース(GM)やクライスラーが、シボレー・カマロやダッジ・チャージャーで後追いし大きなマーケットとなりました。
一方、国内市場を振り返ってみると、国産車で最初に「スペシャリティーカー」を謳ったのは70年に登場した初代のトヨタ・セリカ(A20/30系)でした。今年で生誕50周年を迎えたセリカの初代モデルを振り返ってみましょう。
「フルチョイスシステム」で豊富なバリエーションを用意
国産初のスペシャリティーカーとして登場したセリカですが、そもそも明確な定義はありませんでした。パイオニアとされるマスタングを例に引くと、フォード・ファルコン(北米ではコンパクトとされる量販セダン)をベースにスポーティな外観を持った2ドアクーペに仕立て上げたもの。開発コンセプトの一つにリアシートはタイト(狭くて構わない!)、との項目があったとも伝えられています。
いうなればベルリーナ(セダン)に対するベルリネッタ(クーペ)、というところでしょうか。そう考えるなら量販セダンのカリーナとフロアパンを共有し、クーペボディを纏ったセリカは、紛れもない「スペシャリティカー」でした。この初代セリカの大きな特徴となっていたのが「フルチョイスシステム」です。
これはエンジンとミッション、外装と内装、さらに豊富なオプションパーツを含めて好みの1台を仕上げられるというもので、そのバリエーションは膨大な数に上っていました。ただ最上級モデルの1600GTは、目玉となるべきフルチョイスシステムから外れてしまいましたが、最も多く販売されたという、とても皮肉な結果を生むことになったようです。
名機と呼ばれる2T-Gエンジンを搭載
メカニズム的には、トヨタの傑作エンジンとして知られる2T-Gエンジンを最初に搭載したモデルとして注目されていました。そもそもT型エンジンは、カリーナとセリカに搭載されるエンジンとして新開発されたものでした。
結果的には一足早く、1.4リッタープッシュロッドのT型が、弟分のカローラ1400に搭載されましたが、1.6リッタープッシュロッドの2T型と、それをベースにヤマハ発動機で開発された8バルブ・ツインカムヘッドを組み込んだ2T-Gエンジンはカリーナとセリカに搭載されてデビューを果たしています。
「スペシャリティカー」の定義の一つに、スポーツカーではなくスポーティなクルマ、というのがあるようですが、2T-Gエンジンの存在によりスポーティなクルマからは随分スポーツカーに近い立ち位置になったようです。
サスペンションは、フロントにはコンサバなマクファーソンストラット+コイルを採用していましたが、リアにはリジッドながらラテラルロッドを追加した4リンク+コイルスプリングと、よりハイレベルなシステムを採用。
弟分のカローラ系よりもシャシー性能が高められていました。そのことは、後に2T-Gエンジンを移植されたカローラ系のTE27レビン・トレノがウェイト的には軽かったもののハンドリングが“じゃじゃ馬”のよう、との声でも明らかです。
73年のマイナーチェンジでLBと2リッター直4も追加
「フルチョイスシステム」を採用しながらも、ボディは3ボックス2ドアクーペの1タイプでエンジンも1.6リッターのツインカムとプッシュロッドの1.6リッター/1.4リッターの3タイプのみだったセリカですが、73年のマイナーチェンジ(MC)を機に、後部をファストバック形状としテールゲートを設けたリフトバック(LB)が登場しボディは2タイプから選べるようになりました。
また同時にマークIIなどに搭載されていた2リッター直4の18R系が選べるようになり、購入希望者の選択肢はさらに広がっていきました。ただしデビュー当初に2ドアクーペの1600GTが突出して販売台数を伸ばしたのと同様、このMC以降は18R系でも8バルブ・ツインカムヘッドを組み込んだ18R-GエンジンをLBボディに搭載したLB 2000GTの人気が急騰しました。
それが原因なのか、現在でもヒストリックカーイベントなどでセリカが出展される場合、この初代モデルのLB 2000GTが引っ張りだされるケースが多くなっています。そういえば先日、幕張メッセで開催されたオートモビルカウンシルでもトヨタ自動車/トヨタ博物館のブースでセリカの生誕50周年を記念したブースが展開されていましたが、そこに登場した初代セリカはシルバーメタリックのLB 2000GTでした。
還暦を超えた自動車大好き少年にとって、初代セリカといえばブルーの1600GT(もちろんクーペ・ボディ)だったのですが、これってマニアック過ぎますかね?
モータースポーツでも成績を残し大活躍
セリカは歴代モデルがモータースポーツで活躍した、国産の中でも数少ないブランドの一つです。レースではモデル誕生の翌71年にツーリングカークラスでレースデビュー。ワークス参戦で1600㏄以下のクラス無の存在になりました。
73年にはTE27系のレビン/トレノに後を託して2000GTが1601㏄以上のクラスに参戦しましたが、スカイラインGT-R vs サバンナRX-3の過激なバトルの陰に隠れて苦戦しました。その後は、より改造範囲を広げたRクラスとして参戦。72年の鈴鹿1000kmではサスペンションを大幅に改造したセリカ1600GT-Rが高橋晴邦/竹下憲一組のドライブで優勝。また73年の富士1000kmでは2T-Gにターボを装着(最高出力260馬力)したセリカLBターボで高橋晴邦/見崎清志組が優勝を飾っています。
さらに79年にはドイツのシュニッツァーが製作したグループ5仕様のシルエットフォーミュラ、18R-G+ターボで最高出力560馬力のセリカ・ターボをトムスが輸入。富士のスーパーシルエットレースで度肝を抜く速さを見せつけています。
一方、国際ラリーでは72年、オベ・アンダーソンと契約してWRCに本格参戦を始めた当初の主戦マシンが初代セリカでした。メジャーデビューとなった同年のRACラリーでは、ほとんどノーマルに近い仕様ながらオベ・アンダーソンの懸命のドライブで総合9位/クラス優勝を果たしています。
その後はカローラ・レビンやスープラなどベースモデルを替えながら参戦を続け、やがては世界のトップに立つことになるトヨタのWRCプロジェクトですが、そのパイオニアを果たしたのは国産初の「スペシャリティカー」初代セリカだったのです。