手ごろな価格でスポーツカーを手に入れることができた
初代フェアレディZは1969年に発売された。その造形を担当したのが松尾良彦だ。松尾は、その前にブルーバードのマイナーチェンジを任されていた。型式名では410と呼ばれた2代目で、外観はイタリアのピニンファリーナが担当したが、あいにく日本ではさっぱり人気が出なかった。
そこで松尾は4速フロアシフト、セパレートのリクライニングシート、タコメーター付の3眼メーターを採り入れ、さらにツインキャブレターの大馬力エンジンを搭載し、サスペンションを強化して、タイヤもよくしたスポーツ・セダン(SS)を追加した。次いで排気量を大きくしたスーパー・スポーツ・セダン(SSS)も作るという断行を行った。それは、造形の枠を超えた商品企画であった。結果は、大成功だった。
その成果が認められ、オープンカーであった前型フェアレディの次としてZを任されたのである。当初は、オープンカーとクーペが並行して開発されていた。そこへアメリカ日産の片山豊社長が訪れ、目に留まったクーペでの発売へ動くのである。
北米市場を視野に開発がなされていった
フェアレディZの開発でも、松尾は造形担当にとどまらず、商品企画を踏まえ、多くの販売台数を見込める北米市場を視野に、実用性とスポーティな走行性能を併せ持ち、安全性や高速性能を高め、魅力的なデザインと、大柄な人でも快適に乗れる十分な居住性を重視。
また、簡単なチューニングでモータースポーツも楽しめ、それらを手ごろな価格で手に入れられることを開発の柱に据えた。それまで月に300台しか売れていなかったフェアレディに対し、Zは10倍の3000台を売ることを目標とした。
結果、初代フェアレディZは人気に支えられ9年間も販売が続けられ、累計52万台を売ったのであった。単純計算で、月販平均4800台以上である。