トルクフルで乗りやすかった!
帰り道、いよいよZLの運転をさせてもらった。2リッターの直列6気筒エンジンは、当時としては大排気量エンジンで低速トルクが大きく、発進の猛烈さに驚かされた。5速のマニュアルシフトはストロークがややあって、駐車場で練習したヒール・アンド・トゥを試しながらの変速はなかなかうまくいかなかった。逆にそれほど変速をしなくても、トルクが豊かなエンジンは、オートマチック車のように楽な運転もできたのである。
室内は、木目調のトヨタ2000GTと異なり、精悍さにあふれた黒で、スピードメーターと回転計が独立して配置され、ダッシュボード中央部にも3つの補助メーターが並んでいた。座席も黒のバケットシートのような形状をしており、リクライニング機構が付いてはいるが、スポーツカーを運転するという特別な気持ちにさせる室内の雰囲気があった。
発売から数年後に、フロントノーズを長く伸ばした240ZGが発売された。それに際して、松尾は一つの策を練った。「ZGのイメージカラーとして、マルーンを選びました。英国の女王が乗るロールスロイスで使われるような色をスポーツカーに採り入れたら人気になった。そうした意表を突く遊び心もありました」ブルーバードで用いられたサファリブラウンも、松尾の案である。
クルマ文化の奥深さを見せたフェアレディZ
息の永かった初代フェアレディZは、さらに4人乗りの2by2も追加されることになる。そのように、人気に支えられたからできたともいえるかもしれないが、フェアレディZ開発の目的のなかで、手ごろな価格で、簡単なチューニングをすればレースも楽しめるとしたような遊び心は、自動車メーカー側にもあったといえるだろう。次々と新たな構想を思い浮かばせる素材としてのフェアレディZは、クルマ文化の奥深さを見せる例外的な日本車であったともいえる。
ちなみに、ポルシェの半額で買えることから、「プアマンズ・ポルシェ」と評されたとの話もあるが、これを松尾は、「貧しいからZしか買えないという我慢の意味ではなく、手ごろな価格でスポーツカーを手に入れられることへの驚きを表した言葉だ」と説明している。
富士スピードウェイの名物レースである富士グランチャンピオン(GC)シリーズで、豪雨であったとはいえ、2座席レーシングカーを破って量産スポーツカーのZが優勝したことも、初代の一つの伝説となっている。