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「遊撃手」「かっとび」「タコツー」! 強烈な印象を残した「キャッチコピー」をもつ80年代のクルマ12選

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TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi)  PHOTO: トヨタ、Auto Messe Web編集部

7)「ブルドッグ」ホンダ・シティターボ ll (1981年)

 1981年に登場したのが伝説の名車、初代シティ。ターボが追加され、1983年のターボ IIはブリスターフェンダーや、バルジのあいたボンネットなどで強烈なインパクトを放っていた。それゆえ、付けられたのが「ブルドック」という愛称だった。強烈なインパクトを放っていたホンダ・シティターボII

8)「マー坊」スズキ・マイティボーイ(1983年)

「マー坊」と呼ばれていて、知らないと麻婆豆腐みたいだが、じつはスズキ自ら、CMで「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」と言っていたのが広まった。このCM、赤坂泰彦が在籍していた東京JAPというグループが出ていて、「金はないけどマイティボーイ」という自虐全開の歌を歌っていたのもインパクトがあった。ちなみに価格は45万円だったので、金はそんなになくても買えたのは事実。軽自動車ながらピックアップという超個性モデルで、実際に若者を中心にそこそこ売れた。スズキが自ら、CMで「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」と言っていたのが広まったマーティボーイ

9)「マッチのマーチ」日産マーチ(1980年)

 リアルに当時を知らなくても、耳にしたり、目にしたことがあるのが、「マッチのマーチ」。金八先生で火がついたあとの絶頂期で、アイドルを起用しただけの賑やかしと思いきや、立派なレーサーとなり、今やチームまで率いているとは、想像もつかず。ボディデザインはジウジアーロが手掛けた日産マーチ

10)「オレ・タチ・カルタス」スズキ・カルタス(1983年)

 マーチとともに、これは今でも語り草にもなっているのが、「オレ・タチ、カルタス」。CMでは炎の中から舘ひろしが現れるし、カタログにもタキシード着たりバージョンなどたくさん使われていて、当時としても大いに話題になった。舘ひろしが現れるCMが印象だった初代カルタス

11)「いつかはクラウン」トヨタ・クラウン(1983)

 日本を代表するコピーというか、クラウンのイメージを語る際に愛称的にみんなが知っているもの。かなり前から使われていたように思えるが、じつは1983年の7代目からなので、それほど古くなかったりする。「いつかはクラウン」というキャッチコピーが示すように、憧れの存在とも言えた7代目クラウン

12)「スカイラインズ・ミニ」日産ラングレー(1986年)

 サニーやパルサーをベースにして、いろいろなモデルが登場したが、そのなかのひとつの流れが、上級モデルの弟分というもの。車名がそのままのローレルスピリットや、ラングレーに付けたられたキャッチコピーは「スカイラインズ・ミニ」という今考えると凄いもの。チャンと丸テールだったし、意外に今でも通用する手法かも……。リアから見るとスカイラインのように見えたラングレー

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