2019年のWRX STI EJ20ファイナルエディション搭載で歴史に幕。
2019年11月の4代目スバルWRX STIのEJ20ファイナルエディションの発売により、名機と呼ばれるスバルのEJ20型エンジンがその歴史に幕を閉じた。約30年に渡って継続生産されたエンジンは他の国産メーカーでは類を見ず、「よくぞ、ここまで生産され続けたな」というのが正直な印象。ただ、なぜEJ型が名機と呼ばれるようになったのか? その理由を考察してみたい。
EA型に変わるスバルの基幹エンジンとして誕生!
名機と呼ばれるエンジンは幾多もあるが、誕生と同時に名機と呼ばれる「天才型」はごくわずかで、多くは進化していく過程で、名機に成長した。そのバックボーンにあるのはモータースポーツでの活躍か、アフターマーケットのおける伸びしろなのか、それはエンジンによって異なるが、いずれにしても技術が育てたといっても過言ではない。
EJ型エンジンも、もともとは1966年から使い続けてこられたEA型の後継として誕生した基幹エンジン。30年の長きの間に熟成され、名機として認められるようになった努力型だ。
EA型エンジンが25年以上に渡って熟成されて使用され続けてきたように、次世代のEJ型エンジンも基本構造を変えずに長期間使われることは既定路線だった。ただ、EA型エンジンは軽量コンパクトにウェイトが置かれた設計であったため、1980年代からの高回転、高出力化時代に取り残されてしまった。
EJ型はそうした時代のニーズにも対応できるリッター100㎰を超えるハイパフォーマンスとのちのちの発展性を持たせた高剛性、高強度を両立させる潜在能力の高いエンジンとして開発がスタートしている。もちろん、スバル(当時は富士重工)が得意としていた土系競技(ラリー、ダートラ)への参戦を見越したエンジン設計も盛り込まれていた。
1989年にFIAの10万km世界速度記録という金字塔を達成
1989年に登場した初代レガシィに搭載されたEJ20型エンジンはボア92mm×ストローク75mmのショートストローク型で、高回転型の素性を持つ設計。最上級のEJ20ターボエンジンは220ps/27.5kg-mという当時の2Lターボとしては世界最高水準のエンジンで、10万km走行のFIAの連続走行・世界速度記録という偉業を成し遂げるなど、鮮烈なデビューを飾ったのは記憶に新しい。
EJ型エンジンが長寿になったもう一つの理由は会社規模。トヨタや日産のようなクラスだと潤沢な資金を使って、数多くのエンジンを設計&開発することが可能だが、スバルは数千億円の開発費が掛かるエンジンを何基も開発する余裕はなく、必然的に一機入魂。長く使って開発費を回収することが求められたためだ。
そのため、EJ型はEJ20を核に排気量の小さいEJ16、EJ18、排気量の大きいEJ22、EJ25のバリエーションを持ち、DOHCとSOHCの2つのシリンダーヘッドを設定。さらに搭載車種やミッションによって特性を変更するなど工夫を凝らして味付けを行っていた。
モータースポーツ参戦により、高出力&耐久性が飛躍的に向上
EJ型が名機と呼ばれる理由のひとつはモータースポーツでの華々しい活躍があったからだ。世界の数あるラリー選手権の頂点であるWRCには1990年に参戦を開始し、1995、1996、1997年にはマニュファクチャラー部門で3連覇を成し遂げる。日本国内でも、WRC参戦車両を模したレプリカが数多く製作されるなど人気はかなり高く、WRCでの活躍がスバル、ひいてはEJ20の名声を高めたといえる。
もちろん、モータースポーツで勝つためにさらに進化していった。当時のWRCはグループA規定と呼ばれる規定で、エンジンは市販されているものをベースに戦うことが決められていたため、その技術は市販車にもフィードバックされ、EJ20ターボは登場からわずか7年で、当時の国内自主規制値である280㎰に到達している(初搭載車は2代目レガシィ後期のGT系)。1990年代のEJ型は高出力化、耐久性の向上に重きが置かれていた時代といえる。
数値的には国内の上限に達したEJ型だが、低回転域のトルク不足やカタログスペックに対して体幹的なパワーが足りない、ライバルに比べて燃費が悪いなどの意見があったのは確か。そこで、2000年ごろからドライバビリティ向上に主眼が置かれた開発にシフトする。最新のタマが真っ先に投入されたのはもっとも高スペックを誇っていたインプレッサWRXだ。