「ディアマンテ」ベースの迫力ボディ
ではなぜGTOは、こうも“重戦車”に仕上がってしまったのか。まず単純に、ボディサイズが大きい。GTOの全長×全幅×全高は4555×1840×1285mm、ホイールベースは2470mmで、R32GT-Rの全長×全幅×全高=4545×1755×1340mm、ホイールベース2615mmと比較しても全幅が際立って広い。
また、スポーツカー向けのプラットフォームを専用開発せず、FF高級セダンのディアマンテをベースとしたことも大きいだろう。しかも、「GTO」=「グラン・ツーリスモ・オモロガート」(伊)の略で、「モータースポーツにおけるGTカテゴリーとして公認された車という意味」(プレスリリース原文ママ)という車名に反し、モータースポーツ参戦を大前提としたホモロゲーションモデルではなく、軽量化は開発時の至上命題とはならなかった。そのため、アルミニウム合金など軽量素材の多用、快適装備の簡略化、部品ひとつひとつのグラム単位での重量削減、などといった軽量化策はほとんど行なわれていない。
それどころか、特に日本向けのデビュー当初は4WDに4WS、リトラクタブルヘッドライト、ターボ車にはさらに「アクティブ・エアロ・システム」や「アクティブ・エキゾーストシステム」、「ECS」(電子制御ダンパー)といった可変デバイスが積極的に採用されたことも、この重さに拍車を掛けている。
改良を重ね徐々に本格的なスポーツカーへ
三菱自身はデビュー当時、GTOは「クルマが持つ高い性能を種々のレベルのドライバーが、より安全・快適、より自在に楽しむことができるよう、4輪すべてを駆動させるとともに、操舵・制動についても高度に4輪を制御するという、オールホイールコントロール(AWC)の考え方に基づいて開発されたスーパー4WDスポーツカー」であると謳っている。
しかし実際には、北米市場を主眼としたGTクーペであり、走りの性格も「直進安定性は高く悪天候にも強いが重く、曲がらず、止まらない」という、まさに当時の“アメ車”らしいものだった。だからこそ“重戦車”と呼ばれたのだろう。
だがその後、1993年にはヘッドライトを固定式とし、ターボ車のトルクを1kgm高めつつトランスミッションを6速MTに変更する。1994年にはBBS製17インチホイールを装着したうえ、4WS、オートクルーズ、フォグランプを省略しABSもメーカーオプションとすることで60kg軽量化した新グレード「ツインターボMR」を追加。APロッキード製6ポットブレーキもオプションで設定された。
また、1996年のマイナーチェンジではホイールサイズを18インチにアップ。1998年にはフロントバンパー開口部を拡大し、アルミ押出材を使用した大型ウィングタイプリヤスポイラーを採用するなど、走りを着実に進化させている。
しかもGTOはデビュー当初の「GTOツインターボ」で398万5000円、最終モデルの「ツインターボMR」でも397万9000円と、比較的安価だった。だから、高級車をベースとしてスーパーカーさながらのスタイルと加速性能を手頃な価格で実現したGTでありながら、徐々に本格的なスポーツカーへ進化していった、と考えるのがGTOの実像に近いのだろう。