およそ350台の歴代スープラが集合した「スープラ全国ミーティング2020」
秋だというのに気温がグングン上がった10月11日の富士スピードウェイでは、セリカXXからGRスープラまでのオーナーが集まる「スープラ全国ミーティング2020」が開催された。主催したのは企業ではなく、スープラオーナーやスープラファンで構成されるスープラオーナーズクラブの有志である。
今年は天候が読みにくい日が多くあるが、このイベントも天気に振り回される面があった。開催日を控えた前の週に台風が中部、東海、関東方面に接近していたため、コースによっては開催が危ぶまれていたのだ。その影響もあってエントリーキャンセルも日に日に増えていたという。しかし、イベント前日の天気予報で台風の影響がないことが判明すると状況は一変した。
このイベントではエントリーや各種連絡、参加者やクルマの情報を「My Garage」というアプリで管理していて、取材陣もこちらをダウンロードすることが義務づけられていたのだが、イベントの前日になるとアプリの通知が鳴り続けた。開いてみるとすべて「いきます!」という連絡であった。
そして迎えた当日、会場になった富士スピードウェイ イベント広場にはおよそ350台もの歴代スープラが集合。会場にはショップやメーカーのブースも多数並び、ステージではSUPER GT 14号車のチーム監督である脇阪寿一さんら豪華ゲストのトークショーまであるという盛りだくさんな状況で「スープラ全国ミーティング2020」が開始された。
カスタマイズのバリエーションが多い80スープラ
参加車両の内訳を見てみると、もっとも多いのが80スープラである。このモデルは歴代スープラのなかでもチューニングやカスタムのベース車というイメージが強くあり、加えてアフターパーツも豊富にあることから全国オフでも思い思いのカスタマイズを施しているに作りあげているクルマが多く見られた。
また、カスタマイズのバリエーションが多いだけにオーナーの年齢層が広いのも特徴だ。同じ80スープラ好きといっても「カッコよさのツボ」はそれぞれの世代で多少の違いがあるのだと思うけど、そうした状況を見せてもらえるのもこうした大規模なイベント会場を歩く楽しみと言えるだろう。
さて、そんな80スープラだけに「これ!」とテーマを絞るのは難しいのだけど、やはり多いのが走りを意識したカスタマイズだ。
径が大きすぎないホイールに低すぎない車高、空力効果アップと開口部アップを目的としたデザインのバンパーからは大型のインタークーラーが覗いていて、そのバンパーをよく見ると「走っているクルマ」の証である「飛び石の傷」がいくつもあるという出で立ち。とくべつキレイとか高いホイールを履いているとかではなく歴戦の痕で、独特の凄味を醸し出しているクルマが多いのも80スープラの特徴と言えるかもしれない。
とはいえ、スープラらしいクルージング系のカスタムも似合うし、海外カスタムシーンの影響を受けているスタイルも大柄な80スープラらしい。それにこれだけアフターパーツが多いなか、あえてノーマルを維持して乗るというこだわりもシブイと、ホント、様々なスタイルで楽しまれているのが80スープラだった。
根強い人気の70スープラは時代を作ったクルマ
続いては当時のチューニング界を代表するクルマだった70スープラの参加車両を紹介していこう。70スープラは2L DOHCツインターボなど搭載されたエンジンのバリエーションが多いのが特徴のひとつでいちばん人気は2.5GTツインターボRに搭載されていた1JZ-GTEだと思うが、当時のチューニング界にどっぷり浸かっていたオジさんとしては初代モデルに搭載された7M-GTEU(以下7M-G)の印象が最も強い。
7M-Gは排気量3LのDOHCターボエンジンでスペックはグロス表記では230ps、33kg・mというスペックだった。いまでこそもの足りない数値だけど当時はVG30ETを積むZ31とあわせて、7M-Gを積む70スープラと20ソアラはハイパワー車の代表格であった。それにマフラー交換のみで数10馬力のパワーアップが可能という面もセンセーショナルだったし、追加インジェクターコントローラーやセッティング用サブコンの装着率が上がったのも7M-G搭載車からである。
ターボチューンもフルタービンキットからハイフローまで数多くの種類が発売されハイパワー化が加速したが、当時のシャシーダイナモの多くは430ps以上の数値が計測できなかったので(そもそも今ほどの精度もない)、すごく速いが実際どれくらいのパワーがあるのか「ナゾ」なクルマも多いというのも当時のチューニングらしいミステリアスさでそこも魅力だった。
また、車格的にAT車が多かったため、それまでほぼなかったAT仕様のチューニングカーが増えたのも70スープラ、20ソアラからだったと記憶している。そんなクルマなので当時流行っていた最高速や雑誌が記録テストを実施していた当時のJARI(矢田部テストコース)は7M-G搭載車がズラリと並ぶという状況だった。