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三菱は技術王国だった! 「可変バルタイ」「5バルブ」「MTシフト付きAT」など世間の度肝を抜いた「衝撃技術」6選

独自のハイテク装備に興味津々! チャレンジ精神満載だった過去の技術6選

 その前身は日本初の量産乗用車(三菱A型)を製造した三菱造船であり、1980年代にはRV王国として数多くの人気車種を輩出。そして、パリ・ダカ―ルやWRC(世界ラリー選手権)など土系のモータースポーツで華々しい活躍を成し遂げた三菱自動車(以下三菱)。

 現在は、国内での軽自動車以外の乗用車生産をストップし、「選択と集中」で再起をかける三菱だが、独自の4WD×電動化システムを開発したように、この苦境を技術で打開するはずだ! 今回はこれまで三菱が他社に先駆けて開発した6つの革新メカニズムを紹介。そのチャレンジの歴史を振り返りたい!

あのVTECよりも早く「可変バルタイ」を搭載したシリウスダッシュ3×2エンジン(1984年)

 低速の豊かなトルクと高回転でのパワーを両立するために開発が進んだ「可変バルブタイミング機構」。その元祖といえるのが1984年にスタリオンとギャランΣに搭載された「シリウスDASH3×2」エンジン(のちにサイクロンダッシュ3×2に名称変更1970~1990年代の三菱のエンジンは星座や惑星の名前がつけられていた)だ。

 ちなみにシリウスはおおいぬ座、DASHとは「デュアル・アクティブ・スーパー・ヘッド」の意味。

 1980年代前半はメーカーが威信をかけたパワー競争が盛り上がっていた時代。当時はトヨタと日産がしのぎを削っていたが、他のメーカーからも負けじと強力なエンジンが次々と発表された。シリウスDASHエンジンとベースとなったのは2009年まで三菱の基幹エンジンであったG63B型。デビュー当初はターボ装着で145ps、1983年にはインタークーラーの追加で175psとパワーアップ。

 シリウスDASHはその進化型で、従来のブロックに吸気2、排気1の可変バルブタイミングを持つ新設計シリンダ―ヘッドを組み合わせたものだ。リッター100psを超える200ps(グロス)のパワーは当時、DR30スカイラインRSターボ・インタークーラーに次ぐ高スペックであった。

 吸気バルブに29mmと37mmの2つのバルブを設け、低回転時には29mmの小径バルブのみが作動し、強烈なスワール渦をシリンダー内に起こすとともに吸気流速を高めて充填効率高めることで豊かな低速トルクを生んだ。2500rpmからは高速型のバルブタイミングとリフト量を持つ37mmの大径バルブも作動。吸入空気量を高めて高回転でパワーを引き出すことに成功した。

 ターボも高過給圧モードを設定し、合わせてインジェクターの流量特性を変えるなどハイパワー化に対応している。4バルブDOHCヘッドの搭載は1987年まで待たなくてはならなかったが、それでも今ある技術を出し惜しみすることく投入し、ライバルと対峙するその姿勢が三菱オーナー、ファンを魅了した!

軽自動車「ミニカ」に搭載され、世間を驚かせた夢の5バルブエンジン(1989年)

 エンジンの吸気効率を高め、高回転&高出力を狙うため、1960年代後半から自動車エンジンはマルチバルブ化が進められてきたが、市販車で究極といえるのが吸気3、排気2となる5バルブエンジンだ。市販車として世界初搭載されたのは1985年でヤマハのバイクであるFZ750で、4輪ではAE101&AE111のトヨタのレビン/トレノやフェラーリのF355などに搭載されたのをクルマ好きなら覚えていることだろう。

 ただ、4輪量産車として世界で初めて5バルブエンジン(直列3気筒15バルブ)を搭載したのは軽自動車であるミニカ。1989年のデビュー当時は「夢の高性能エンジンがKカーに搭載された!」と世間はぶったまげた。

 その登場の背景はバブルという好景気もさることながら、当時過熱著しかったKカーのパフォーマンス競争を勝ち抜くための技術、そして顧客満足度を満たす飛び道具が必要だったためだ。

 5バルブを搭載したミニカのスペックは550cc時代にKカーの上限である64ps(トルクは7.6kg-m)に楽々到達し、660cc時代には4気筒の新エンジンも開発。64ps/10.2kg-mのスペックはトルクも含めてKカートップクラス。4気筒ならではの静粛性の高さも売りだった。

 ただ、2バルブから4バルブになったときは著しく性能は向上したのだが、4バルブから5バルブの場合は思った以上の成果は得られず、逆に部品点数の多さから、コスト増にもつながった。さらに技術の進歩で燃焼の解析がシミュレーションできるようになり、4バルブでも高効率を突き詰められるようになったため、複雑なメカニズムのためフリクションロスが大きく、燃費にも不利となる5バルブエンジンは時代から必要とされなくなったのだ。

 ただ、三菱のを5バルブエンジンは1989年から2012年まで13年間に渡って製造され、ミニカ、トッポBJ、パジェロミニから商用車のタウンボックスまで幅広く搭載。今後2度と出ることがない5バルブツインカム+ターボというハイメカニズムなエンジンを一般化したのは世界広しといえども三菱だけだ。その功績に敬意を表したい!

ATにMTの楽しさをミックスさせた先進のINVECS-llスポーツシフト(1994年)

 INVECSとは「インテリジェント&イノヴェイティヴ・ヴィークル・エレクトロニック・コントロール・システム」の略。1992年の7代目ギャラン発売とともに採用されたシステムで、当初は三菱の統合制御システムの名称であったが、1994年に登場したINVECS- ll では最新のトランスミッションの名称へ変更となった。

 ドライバーの癖を記憶させて、シフトスケジュールを最適化する学習機能を盛り込んだ最新制御のATであったが、マーケットの話題をさらったのはMT感覚で操作が楽しめる日本初の「スポーツモード」。

 これは通常のATのシフトゲートの隣にセレクターレバーを追加し、シーケンシャルミッションのようにドライバーがギアをアップ/ダウンすることで、エンジンの特性を引き出し、スポーティな走りが楽しめるようにしたものだ。操作は前に押すとシフトアップ、手前に引くとシフトダウンで、直感的にシフトチェンジできると好評であった(多くの車種はシフトアップ&ダウンの操作方法は逆だった)。

 ミドルサイズクーペであるFTOに初搭載。その後、三菱車に幅広く採用されるとともに、他の自動車メーカーにも影響を与え、似たようなゲート式ATが数多く登場するほど流行した。発売当初は4速ATであったが、1997年にはFF車としては世界初となる5速ATへとバージョンアップしている(初搭載車は2代目ディアマンテ)。

 2000年にはミッションの基本構造をATからCVTに変更したINVECS-lllへと進化。スポーツモードは変速が6段に増え、さらに一部の車種はステアリングホイールに手を置いたまま変速できるパドルシフトを採用。エンジン性能を引き出す楽しさを無駄のない操作で可能とした。

世界で初めての量産直噴エンジンだったGDI(1996年)

 高出力で低燃費を両立する直噴エンジンは現在世界中のメーカーで主力となっているが、量産自動車として世界で初めて実用化(直噴エンジンでは第1世代と呼ばれる)したのは三菱。1996年にギャラン/レグナムに搭載されてデビューした。

 ちなみにGDIは「ガソリン・ダイレクト・インジェクション」の略。それまでのレプシロエンジンでは燃料はインテークマニホールドで噴射され、混合気となってシリンダー内部に送り込まれていたが、GDIでは燃料をシリンダー内に高圧で直接噴射する。これによってシリンダー内の温度を下げることとなり、ノッキング低減効果があり、圧縮比を高めて高出力化を狙え、熱効率も高まることで燃費向上にもつながった。

 また、低燃費と高出力の2つのモードを持ち、それぞれの特性に合わせて噴射の角度やタイミングをコントロール。特に低燃費モードでは独自の湾曲頂形状のピストン形状タンブル(縦渦)でリーンバーン(少ない燃料で燃焼させる希薄燃焼。何と空燃比は40:1だった)を実現。1.8Lの自然吸気ながら150psの出力と10.15モード燃費で1.5L車並み(当時)の18.8km/Lを両立し、自動車業界の話題をさらった。

 その後、全車GDI化を目指して3.5L/3L/2.4L/2L/1.5L/1Lと矢継ぎ早にラインアップを拡大。2000年には世界で初めて直噴エンジンとターボを組み合わせて量産化(4G93型1.8LGDIターボ、パジェロ・イオに初搭載)することにも成功。

 さらにはプジョー/シトロエン、ボルボ、ヒュンダイが技術ライセンスを取得し、アルファロメオがパテントを購入。さらに2001年には累計生産台数が100万台を突破するなどGDIは世界の直噴エンジンのリーダー的存在となり、時代をリードした。

4WDの弱点を電子デバイスで解消したランエボ譲りのS-AWC(2007年)

 S-AWCは「スーパー・オールホイール・コントロール」の略でWRC(世界ラリー選手権)で勝つために”曲がる4WD”を実現するために投入された三菱自慢の車両運動統合制御システム。電子制御4WDをベースに、AYC(アクティブヨーコントロール)、ASC(アクティブスタビリティコントロール)、ABSなどの電子制御システムを総合コントロールすることで、常に最適な駆動・制動の配分され、刻々と路面状況が変わってもより速く、より安全なドライビングを可能としている。

 WRCなどモータースポーツの世界では1990年後半から実戦投入され、使用実績を重ね、市販車にその技術がフィードバックされたのは2001年のランサー・エボリューションVllからだ。

 コーナーリング中に発生するヨー・モーメントを制御するAYCと電子制御の油圧ポンプと多板クラッチを組み合わせ、前後のイニシャルトルクを変更するのではなく、結合率を制御するACD(アクティブ・センター・デフ)を組み合わせることで、抜群のスタビリティと旋回性を兼ね備える曲がる4WDが完成した。

 このシステムにABSとASCのコントロールを加えた純然たるS-AWCとなるのは2007年のランサー・エボリューションⅩからとなる。

 2005年に登場したアウトランダーには前後の駆動配分をドライバーが「スノー」「ターマック」「ロック」と任意に変更できるドライブモードを追加、2012年のアウトランダーPHEVはツインモーターによる前後駆動配分を軸としたシステムが投入されるなど、それぞれの車種に最適なチューニングが施され、今なお三菱の基幹技術として脈々と受け継がれている。

メカニズムだけでなく、走りでも近未来を予感させた電気自動車(2009年)

 EV(電気自動車)といえば日産のリーフがメジャーな存在であるが、世界で量産化一番乗りを果たしたのは三菱だ。軽自動車の「i」のエンジンをモーターとコンバートし、200kgのリチウムイオン電池を組み合わせた「i-MiEV」がそれだ。

 ベースとなるiが発売されてから3年に渡る実走実験、性能評価を経て2009年7月から法人向けにメンテナンス&リース方式で発売を開始。個人向けは翌年4月からと発表された。電気自動車の使用として有効とされるシティコミューターとして開発され、発売当初の1回の充電での航続距離は160km。2010年発売のリーフが200kmであったことを考えるとかなり高性能であった。

 また、発売前からプジョー・シトロエンと欧州向けの電気自動車の共同開発が発表されるなど話題も多かった(2009年にOEM供給され、プジョーがiOh、シトロエンがC-ZEROの名称で発売)。発売当初の価格は453.9万円だった。

 2011年のマイナーチェンジで電池容量を16kWhから10.5kWhに減らしたエントリーモデルのMを追加し、ブレーキペダル連動回生ブレーキを備え、一充電航続距離を20km向上。その後も年次改良が続けられ、電気自動車としての基本性能を高め、さらに車両価格の見直しを定期的に行うなどブラッシュアップを重ねてきた。ただ、他メーカーからより高性能なEVカーが続々と誕生したことに加え、三菱の経営悪化により、EV事業に割ける予算は満足に得られず、i-MiEVは徐々に訴求力を失っていくこととなった。

 2020年で製造終了と噂されている(商用車のミニキャブミーブは継続販売予定)が、EVで培われた技術はアウトランダーPHEVで活用され、今後発売が予定されている日産との合弁会社「NMKV」で発売が予定されている新型軽EVに注がれることは間違いない。

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