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名車「スカイラインGT-R」に4枚ドアで乗れる愉悦! パトカーまであった「R33オーテック」の唯一無二っぷり

日本のカロッツェリアを目指し、個性的なコンプリートカーをリリース

 日産自動車の特装車部門を受け持つオーテックジャパン(以下オーテック)は創立直後からスカイラインを筆頭にシルビア、セフィーロ、プリメーラといった数多くのオーテックバージョン、さらには、日本のカロッツエリアを目指し、イタリアのザガートと共同開発した2代目レパードベースのステルビオなどスポーツ色の強いカスタムカーを数多くリリースしていた。

 ただ、1995年に初代社長である櫻井眞一郎氏が特殊車両開発を請け負っていたS&S事業部を引き取って独立(S&Sエンジニアリングを創業)した後は、ハイウェイスターやボレロといったミニバンやコンパクトカーのドレスアップ仕様が軸となり、日産との関係が深まるとともに、台数限定から受注生産のカタログモデルが増えるなど、創業当時の個性的なスポーツモデルを知るオーナー/ファンは物足りなさを感じていた。

スカイライン生誕40周年を記念し、新旧GT-R開発主管がタッグを組む

 そんなスポーツカー不毛の時期に起死回生のように登場したのが、第2世代GT-Rのコンポーネンツを使用したステージア260RSオーテックバージョン、そして今回取り取り上げるR33GT-Rオーテックバージョン。 正式名は「スカイラインGT-Rオーテックバージョン 40thアニバーサリー」ととても長い。その名前のとおり、スカイラインの生誕40周年記念限定車であり、1997年の第32回東京モーターショーに参考出品され、同年12月に発売を開始している。生産はR34GT-Rが1999年1月にデビューすることから最初から1年間限定と決まっていた。

4ドアを架装ではなく、2ドアのGT-Rをベースにラインで製造

 1960年代後半からモータースポーツで連戦連勝し、「スカイライン神話」を確固たるものとした初代ハコスカ以来の4ドアGT-R。その復活は当時のスカイライン開発主管である渡邉衡三氏とR32スカイラインの開発主管であり、当時オーテックジャパンの常務であった伊藤修令氏が尽力した。「スカイラインの生誕40周年に相応しい記念車を作りたい」という思いが合致したことで、企画が正式に了承されたと聞く。もちろん、R33スカイラインのテコ入れとオーテックのスポーツイメージの向上を考えての判断であることは想像に難くない。

 また、かつてのオーテックに存在していたS&S事業部では8代目R32の4ドアGTS4をベースにGT-Rのコンポーネンツを完全移植したGTB4を製作し、1992年にも4ドアGTS4にRB26を搭載したオーテックバージョンを限定でリリース。エンジンはターボではなく自然吸気、ミッションがATであったこともあり、GT-Rを名乗ることはなかったが、4ドアGT-Rを待望していたのはオーナーやファンだけではなかったのだ。

 その開発手法だが、4ドアの4WD(同じアテーサET-Sを採用。R33の場合だとENR33)モデルをベースに、GT-R用のエンジンや内外装パーツ、電装系などをマルっと移植する手法も検討された(実際に検討モデルも存在。過去のオーテックS&S事業部やアフターマーケットで製作されている4ドアGT-R仕様は後架装となるのでこの方法を選択)が、最終的には日産自動車のラインで製造されることとなり、その効率を考えると、R33GT-R(標準車)をベースとし、Aピラー以降に4ドアのボディを被せる手法がベストと判断された。

 その証拠に型式はBCNR33となっている。特筆すべきはリアのブリスターフェンダーとドアをプレス型で起こしている点。総生産台数は400台強なので、型代としては完全に赤字だが「製作するなら本物を提供したい」という開発陣の強い思いとGT-Rという特殊な車種だから許されたのだろう。

第2世代GT-Rの全車両開発を担当した日産のエースパイロットも愛用

 製造は今やなきプリンスの聖地である村山工場が担当したが、エンブレム類や外装のパネル類の装着、最終検査などは日産自動車座間事業所で行われたのは意外に知られていない。つまり、オーテックの名前は付くもののオーテックは企画のみで、市販車の製造、組み立てには関与していない。

 エクステリアはフロントバンパー&リップは前期型のダクトなし&小型タイプが使用され、リアウイングもなし。4ドアの上級グレードに装着されるドアのメッキモール類がレスとなるのはハコスカGT-Rの伝統になぞらっているからだ。

 インテリアもシートは前期型のブルー系(2ドアの後期型は赤系)に統一。また、型式がBCNR33なので乗車定員は4名。そのためリアには新規でバケットシートが採用されている。オーディオもKENWOOD製のCDプレーヤーに格上げされ、車速感応式オートドアロックが標準化されるなど、装備は2ドアよりも豪華仕様となっていた。

 ボディカラーは2ドアで人気があったミッドナイトパープル/ホワイト/ソニックシルバーで、発売当時はシルバーが人気であったが、中古車市場では台数が少ないミッドナイトがもっとも高値を付けている。

注:写真は2枚ドアの33GT-R

 価格はベースとなったR33GT-R標準車よりもわずか10万円高と、内容を考えたらまさにバーゲンプライス。ファミリーユースのため2ドアを選べなかった層に歓迎をもって迎えられた。そのオーナーの1人に卓越した技能者に与えられる「現代の名工」として表彰され、第2世代GT-Rのすべての車両開発を担った日産テストドライバーの加藤博義氏が名を連ねていることはオーナー&ファンの間では有名だ。

 ハコスカ(PGC10)のイメージを踏襲し、現代版の羊の皮を被った狼仕様として誕生したR33オーテック。趣味と実用を高いレベルで両立し、R32&R34両オーナーからも一目置かれる独自の存在感がR33ファンを今なお魅了してやまない。

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