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狂乱の「バブル時代」は車種が「デート」の勝敗を分けた! 女子に「モテた」外車と「不人気」の外車

乗っていたクルマの種類で異性にモテた(?)「バブル」という時代

 今では伝説として語り継がれるバブル景気。それは1986年から1991年に至る5年間に日本を巻き込んだ、まさに泡のような好景気。六本木はディスコで賑わい、アッシー君(足代わりに使われる男)、メッシー君(御馳走してくれる男)といった、それこそ流行語大賞にもなりそうな、ボディコン女性の“しもべ”のような男たちも出現。

 深夜、満員御礼のディスコのVIPルームから出てきた男女は、たとえば六本木通りのごとう花屋あたりの前で、つかまらないタクシーを拾うために、1万円札をかざして手をあげていた……なんという逸話もあるほどだった。

 バブルに沸いた男たちのファッションは、DCブランド、ジョルジオ・アルマーニ。女性はアライアに代表されるボディコンシャスな、体形をなぞるようなウエアに大金をはたき、夜な夜な、六本木などに繰り出したのだった。

ドイツ車セダンは「モテ車」の最右翼だった

 さて、そんな時代に男たちが三種の神器としていたのが、1985年にNTTドコモが発売したアナログ携帯電話、すでに述べたDCブランドやアルマーニのスーツ、そして外車である。86年登場のポルシェ959、87年登場のフェラーリF40といった、バブルで価格が高騰した億グルマはともかくとして、若者の間で鉄板だったモテグルマが「六本木のカローラ」と呼ばれたE30 BMW3シリーズと、「小ベンツ」と称されたメルセデスベンツ190Eといったコンパクトなドイツ製セダンだ。また、女子から「ポルポル」と可愛気に呼ばれていたのは、ポルシェである。

 当時、BMW3シリーズやメルセデスベンツ190Eの価格は500万円前後から。それを一般の若者がモテグルマとして買うことができたのは、やはり「男は黙って72回」などという、長期ローンに”乗せられた”からでもある。とにかく、お金を使うことに恐れを知らなかったのが、バブルたるゆえん。もちろん、中古車という手もあり、それも芸能人が乗っていたクルマを「トレンディ女優の○○さんが乗っていたBMWですよ」なんていう、個人情報保護法が施行された今では考えられない売り方をしていたお店もあった。

 しかし、当時のカタカナ職業のイケてる男たちの中にはそれに迎合せず、もっとマニアックな外車を選んでいた。ボクの知り合いで、乃木坂を縄張り(!?)にしていたアパレル勤務の男は、六本木のカローラ=赤のBMW3シリーズに対して、漆黒のサーブを選んで「俺はちょっと違うぜ」とアピールしていたし、中学の同級生だった広告代理店勤務の真正お坊ちゃま君は、いきなりのランチャ・テーマ832でモテまくっていたのだ。

 ランチャ・テーマ832と言っても、今のクルマ好きでもそうそう知らないと思うので、いちおう解説しておくと、ランチァはイタリアの名門自動車メーカーであり、テーマは1984年から1994年にかけて製造していたファッショナブルでもある渋いFFセダン。

 イタリアつながりのアルマーニなどイタリアファッションとの相性はもう抜群で、テーマieターボが日本でも販売の中心だったのだが(ボクが1988年に出した「ぼくたちの外車獲得宣言」という、おそらく日本で初めての外車購入に特化した単行本の巻頭カラー企画にも登場)、1988年に加わったテーマ832は、なんとフェラーリV8エンジンを積む、セダンのカタチをした粋すぎるスーパーカーだったのだ。これはかなりマニアックな通の選択であり、そこに共感する、ワンレン・ボディコン嬢とは一線を画すお嬢様もいたというわけだ。

 ただし、同じイタリア車でもボクが1987年、バブル期の直前にランチャも扱っていた、世田谷のガレージイタリアという正規ディーラーで買ったマセラティ・ビターボは、当時の若い女子には、左ハンドルということを除けばBMWやベンツのような威力はなし。

 そのころ、狙っていた女子大生とのデートで、マセラティの傲然たるV6ターボサウンド、インテリアの妖しい雰囲気をもってしても、最後の一線を超えるには(!?)至らなかった。

 理由は簡単だ。バブル期の女子の彼氏になれる最大(でもないけど)のアピールポイントは、その子の女友達の誰もが知るBMWやベンツ、ポルシェといったブランド、スリーポインテッドスターに代表されるエンブレムの威厳!?(と、そのキー)が不可欠だったからだ。

 女の子は「私の付き合っている人、ポルポルなんだ~」とか、言いたいわけである。「マセラティとかいうクルマに乗っているんだけどぉ~」なんて女友達と会話しても、たぶん「ふーん、知らない」で終わりだったかもしれない。

 今ならモテグルマとしてかなりの威力を持つマセラティ、ましてや今も昔もマニアックなランチァは、バブル期の彼女たちの辞書にないクルマ、ガイシャだったというわけだ。

女子ウケ「コスパ最強」の「ちょいワル車」 ただし「身バレ率」高め

 一方、クルマの名前は知らなくても、迎えにきてくれるだけで女子がアガったのが、東京では港区ではなく、東京・世田谷区は国道246号線沿い周辺で幅を利かせていたアメ車、C4と呼ばれる1983年から1996年まで製造された、今でもファンの多いバブル期にまたがったシボレー・コルベットである(世田谷にはアメ車専門の中古車店が多かった)。こちらはアルマーニとかではなく、西海岸ファッションを好む若者にお似合いだった1台。今のコルベットとは違い、新車でも600万円~の価格であり、中古車も少なくなく、そこそこ安く買えた時期なので、アメ車ファンならずとも、ちょっとワルなモテグルマとして手を出しやすかったのだ。

 実際、ボクの知り合いも、ド派手なイエローのコルベットにモデルの女の子を乗せ、東京・城南の縄張りから”越境”して六本木のロアビル裏の駐車場あたりに、轟音とともに出没していたことを覚えている。ここまで派手になると、相手が車名を知っている、知らないにかかわらず、威力は絶大。コルベット好きのその知り合いの話によれば、昭和生まれのキャバクラ嬢にはとくに大ウケだったらしい。価格対女子ウケ度はもう抜群、何も知らなければスーパーカーに見え、1000万円級を思わせる、まさに神器だったと記憶している。

 ただし、コルベットは知り合いから「昨日の夜、六本木にいたでしょ」……とすぐにバレてしまうクルマでもあった。つまりそれぐらい目立った、ということ。その点、BMW3シリーズや子ベンツは、街に溢れていたから、その日、出会った彼女じゃない子とウロウロしていても、安全パイなモテグルマだったかも知れない(それが六本木のカローラと言われたゆえん。1980年代後半、E30 BMW325iを所有していたけれど、ボクの話ではありません)。 それにしても、バブル時代を謳歌できた、ボクのようなオヤジ世代にとっては、当時の六本木の熱い夜と、クルマでモテた(と思われる)時代が懐かしい……。

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