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販売台数わずか60台! 「ケンメリ」よりさらに激レアな「スカイラインスポーツ」の驚くべき中身

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TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi)  PHOTO: 日産、BMW、自工会、Auto Messe Web編集部

コンバーチブルモデルもあったスカイラインスポーツ

 いずれにしても、1961年の東京モーターショーでの国内発表を経て、1962年に市販を開始したときにはクーペとコンバーチブルの2タイプが用意された。ちなみにショーモデルと市販モデルとは細かいところが異なっていた。また、この東京モーターショーの際には、ショーモデルとしてプリンススポーツという流線型のクルマもミケロッティが手がけて出品している。 ベースとなったのはグロリアで、エンジンはGB4型と呼ばれる1900ccの直列4OHVで94馬力を発生。当時としてはまずまずの性能で、150km/hという最高速度は日本車最速だったが、車重は1365kgもあったことから、スポーツカー的なキビキビ感には欠けていたというのが実際だ。第1回の日本グランプリには2台が出場しているし、アルペンラリーにも参戦していて、成績はそこそこといったところだった。

1台1台手作業で生産がなされていた

 市販化されると、そのボディは手作業で作られ、イタリアから職人をプリンスの工場に呼んで指導してもらいながら作られていた。それもアダとなって、価格はクーペは185万円で、コンバーチブルは195万円となり、これはクラウンの2倍弱にもなる価格で、トータルで売れたのは60台ほどと、結局販売的には大失敗だった。ちなみにクーペが35台で、コンバーチブルが25台とされているが、諸説はある。

 販売的には失敗とはいえ、カーデザインとはなにかを本場イタリアとの実際のやり取りで吸収できたのは大きな収穫だったし、ボディ製作でも得る物が大きく、その後の市販車やレース車両に活かされているだけに、無駄ではなかったのは確実だ。

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