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幻に終わった「ロータリー軍団」との勝負! レースで闘うことさえできなかった「悲運の名車」ケンメリGT-R

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了、Auto Messe Web編集部

ケンメリGT-Rは実戦にすら臨めず

 しかし、2代目となるケンメリGT-Rの場合はサイズアップ重量増への対応策は簡単にはいきませんでした。そもそも当時のレースでは参戦するカテゴリーが特殊ツーリングカー(TS。FIAの規定ではグループ2)でしたから、エンジンの搭載位置を変えることなど認められていませんでした。また電子デバイスなどもまだまだ一般化されておらず、エンジンをチューニングしてパワーアップし、ボディに軽量化を施すとともに、サスペンションを固めてロール剛性を高めることくらいしか、手を施すことができなかったのです。スカイラン2000GT-Rレース仕様コクピット

 それでも、当時のモータースポーツ専門紙には富士で日産ワークスがテストを行った、との情報もありました。日産ファンやスカイライン/GT-Rファンにとっては新たに登場するケンメリGT-Rが、ライバルのロータリー軍団に一矢報いる日を心待ちにする日々が続いていたのです。ケンメリスカイラインに搭載された最高峰名機はS20型エンジン

 しかし結局、ケンメリGT-Rがレースに出場することはありませんでした。そもそものポテンシャルが云々される以前に、当時のメーカーにとっては排気ガスの浄化など、クルマそのものに関しての対策が急務とされていたのでした。

 時代の流れや一般ユーザーの趣向もあって、モデルチェンジを機に大きく重くなったケンメリGT-Rは、移り変わる時代に翻弄されるように、サーキットに姿を現しレースで活躍する機会さえ与えられませんでした。

「空力的には先代に比べて有利だったのでは?」との説もあり、先代も得意にしていた、そしてライバルが比較的に苦手としていた富士のフルコースでは、マツダRX3達のロータリー軍団との好勝負を見せてくれたのでは、と当時の国内レース界への想いが蘇ってきます。そして、それを想うと、レース参戦の機会さえ与えられなかったケンメリGT-Rが不憫ですらあります。とまぁこれは、年老いたレース小僧の繰り言かもしれませんが…。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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