期待の星だった「初代ハチロク」
ある自動車雑誌が継続時に仕掛けた企画がきっかけとなってブレイクし、いまやモータースポーツの一角を担っているのがドリフトだ。後輪駆動車によるパワースライドは見ていて圧巻。盛んになるのも納得できるダイナミックな走りである。
この古くからあるレーシングテクニックを、一気に世の中に広めたのがコミック「イニシャルD」だった。主役は劇中の豆腐店で配達に使われていたスプリンタートレノ、AE86「初代ハチロク」だ。軽量コンパクトな車体にレスポンスの良い高回転型4バルブDOHCエンジンを積み、キビキビとした俊敏な動きが魅力の「1.6リッター(テンロク)スポーツ」として描かれていた。
そんなハチロクだが、デビュー時から市場で爆発的な人気を集めていたわけではない。トヨタのスポーツモデルとしてDOHCエンジンを積む歴代「カローラレビン/スプリンタートレノ」は、市場でそれなりの人気を集めてきたが、ハチロクの場合は、最初にモータースポーツ業界が注目したのである。
ライバルと「4バルブDOHCエンジン」
ハチロクが登場した1983年という時期は、1970年代いっぱい続いた排出ガス規制対策が決着したことから、再び性能に目が向けられるようになり、各社こぞって高性能車の開発に力を注いでいた時期である。
こうした時代に、初の量産4バルブDOHCエンジン(4A-G型)を積むモデルとしてハチロクが登場。それまで、高性能だが複雑な4バルブDOHCエンジンは、レース専用の高度なメカニズムで量産車とは無縁の方式というのが自動車業界の常識だった。
しかし、1981年にこの常識を破るようにして日産スカイラインRS(FJ20型エンジン)が登場し、続く1983年に登場したハチロクが、4バルブDOHCの存在を、一気に普及価格帯の量産車レベルにまで引き下げていた。
そのハチロク、先代にあたる2T-G型DOHCを積むTE71系のモデル末期から「次期レビン/トレノは4バルブDOHCらしい」「71とは運動性能が格段に違うらしい」という噂がラリー関係者の間で囁かれていた。
ナンバー付きの車両で戦う当時の国内ラリーは、排ガス規制値や車両諸元が運輸省(当時)の認可値と異なることから一切の改造を禁止。完全ノーマルの車両で戦うことが絶対条件となっていた。
こうした意味では、手頃なボディサイズのカローラ/スプリンターに、パワフルなDOHCエンジン(115ps)を積むTE71系(レビン/トレノを含む)は、ラリー車として最強の存在だったが、1979年にいすゞが1.8リッターDOHCのジェミニZZ(130ps)、1981年に三菱がランサーEXターボ(135ps)を繰り出したことで一気に劣勢な立場に追いやられていた。
こうした状況下で4バルブDOHCを搭載する新型レビン/トレノ(ハチロク)の登場は、トヨタ系モータースポーツユーザーにとって期待の星だったのである。実際、新型カローラ/スプリンターのシリーズ自体は、当時の技術トレンドに従い全車FF化されたが、スポーツ系のレビン/トレノだけ、先代70系カローラ/スプリンターのプラットフォームを進化させての登場だった。
モータースポーツでの活躍
高回転域までよく回る4A-G型エンジンを搭載したAE86レビン/トレノは、軽量・高剛性な車体との組み合わせで期待どおりの高い戦闘力を発揮。全日本ラリーで好成績を残したが、残念ながらすでにラリー界での主導権はインタークーラーを装着して160psにパワーアップされたランサーターボが握り、ハチロクは善戦するもいま一息およばなかった。
しかし、1.8リッターのターボエンジンを相手に1.6リッターの自然吸気エンジンで見せた互角の走りは、結果的にハチロクのポテンシャルがいかに高かったかを証明するかたちとなっていた。
一方、長らく新型車(現行車)によるツーリングカーレースが途絶えていた国内サーキットレースに、1985年からグループA規定による「全日本ツーリングカー選手権(JTC)」が発足。1600ccを上限とする最小排気量クラスの「クラス1」は、1.6リッター・4バルブDOHCを持つハチロクはとって絶好のカテゴリーで、すでに1984年のヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に投入され実績を残していた。
JTC戦には多くのトヨタ系ユーザーがハチロクで参戦し、記念すべき開幕戦では、クラス上のBMW635やスカイラインRSターボを相手に総合1位でチェッカーを受ける快挙を演じていた。ただ、JTCでの活動は長く続かず、翌1986年からトヨタ勢の主力はFFのカローラFX(AE82)に移行していった。
後年コミック誌のドリフト走行で一躍人気度を上げたハチロクだが、デビュー時には、モータースポーツ界、特にトヨタ系ユーザーの間で待ち焦がれた存在だった。