走りだけでなく中古車価格も別格のモデルたち
アメリカのクラッシックカー登録制度である通称「25年ルール」の仲間入りを果たしたことや、ゲームソフト「プレイステーション」の普及により、日本独自のドメスティックカーから世界に知られる日本を代表するスポーツカーとして広く一般化した日産スカイラインGT-R。過去にはイギリスに約200台が正規輸出され、オーストラリアには以前から個人輸出されていたが、2014年ごろから欧米を中心に海外輸出が拡大したのが、第2世代GT-Rと呼ばれるR32/R33/R34型である。
本格的な流出から6年が経過した現在、スタンダードなGT-Rが海外マーケットで増えるにつれ、コレクターたちはより希少な個体を求めるようになった。つまり、限定車やコンプリートカーがもてはやされ、同時に相場を引き上げる原動力となっている。市場の有望株といえる第2世代GT-Rのレアモデルを紹介しよう。
1990年【R32型GT-R NISMO】
(参考中古車価格450〜1500万円)
1980年代中盤から1990年代後半までサーキットやラリーまで、モータースポーツシーンで隆盛を極めたグループAレースに勝つために、ホモロゲーションミートなクルマとして登場したR32型スカイラインGT-R(以下R32)。
12か月間に5000台以上(1992年以降は年間2500台以上)生産することが公認車両として認定されるが、追加で年間500台以上生産すればエボリューションモデルも公認されるルールがあり、市販車の扱いやすさをスポイルさせることなく、R32のさらなる戦闘力向上のために500台限定で生産(レース用としてプラス60台生産)されたのがR32 「NISMO」だ。空力&冷却性能向上と信頼耐久性の向上、そして軽量化に主眼が置かれ改良され、グループAレースを戦うためのポテンシャルを手に入れた。
具体的にはフロントのフードトップモールとバンパーに2個のエアアウトレット(通称ブタ鼻)を追加し、インタークーラー前のネットを取り外すなど冷却性を向上するとともに、サイドシルプロテクター(抑揚を低下)と小型のリアスポイラー(通称チビスポ)で空力性能をアップ。
レースに必要のないエアコン/ABS/リアワイパー/オーディオを廃止することで標準モデルよりも30㎏軽量化を図っている。レースに勝つための最大の変更点が「インコネル素材」を使ったメタルタービン化だ。同時にサイズもA/Rも大型化。スタンダードのセラミックタービンに比べるとレスポンスは劣るが、キャパシティは490㎰から600㎰オーバーまで高められた。
NISMOのエアロパーツ群は発売直後からカスタマイズパーツとして人気となり、数多くのNISMO仕様がマーケットに登場。R32の定番スタイルとして今もオーナーから高く支持されている。ちなみに本物とNISMO仕様との識別点は車体番号で、NISMOは「BNR32-100000台」となっている。
1991年【HKS ZERO-R】
(参考中古車価格1500万円前後)
1987年にトミーカイラが先鞭をつけた公認チューンドコンプリートカーという新たな流れを受け、バブルという潤沢な資金をバックボーンに1989年、HKSがR32をベースに製作を開始したコンプリートカーがHKS「ZERO-R」だ。欧州チューナーと肩を並べるという高い目標を掲げ、信頼耐久性を高めるために国内のみならず、アウトバーンやニュルブルクリンクでもテストを慣行。徹底的に走り込み、セッティングを熟成させた。発売されたのは1991年と、開発期間が2年にも及んだことからも、HKSの本気度がうかがい知れる。
「高出力、高耐久性」を開発テーマとして、仕上げられたRB26DETTエンジンは88φの鍛造ピストンを使用し、排気量を2688㏄まで拡大。強化されたエンジンに、当時最大サイズであるTA45Sタービンでシングルタービン化。これをHKS最新のデバイスアイテムでコントロールすることで、パワーはノーマルの約1.6倍となる450㎰(最大トルク50.0㎏-m)以上と、当時としては飛び抜けたスペックを誇っていた。
強化されたエンジンに合わせて、ミッションはホリンジャーの6速MT、サスはHKSオリジナル、ブレーキはAP製のキャリパーに355φの大径ローターを組み合わせるなど、トータル性能を高め、インターナショナルなマシンと対峙するスペックを手にしている。
最大の特徴はエクステリアで、当時のR32はグループAを頂点としたノーマル然としたスタイルが主流であったが、HKSはその常識を覆し大胆にモディファイ。270㎞/hの巡航を可能とすることを前提に燃料タンクを後部座席位置に移設(2シーター化)し、フラットボトム化&エンド部を大胆に跳ね上げた形状に。空力最優先のフォルムは、スタンダードのR32のデザインを凌駕するスタイリッシュなモノであった。
価格は約1600万円で、10台限定。当時販売されたのは2台のみと商業的な成功を狙ったものではなかったが、そのチャレンジはのちのHKSの財産となったことは間違いない。ちなみに2005年から数年かけてHKSのアンテナショップであるHKSテクニカルファクトリーが使用されなかったボディを復刻し、最新のチューニングを施した現代版のZERO-Rを4台製作している。
1996年【R33型GT-R LMリミテッド】
(参考中古車価格800〜1300万円)
1996年5月〜7月までの期間限定で発売されたのがR33型スカイラインGT-Rをベースとした「LMリミテッド」。標準仕様だけでなく、スポーツバージョンのVスペックにも用意された。
最大の特徴は、歴代GT-Rでもっとも華やかともいえる「チャンピオンブルー」と呼ばれた澄んだ空のような明るい青のボディカラー。チャンピオンの名が付けられているので、当時のハコ車レースの最高峰と言われたGT選手権(現在のスーパーGT)で3連覇を果たしたカルソニックスカイラインのブルーをイメージしたとも言われたが、実際はル・マン24時間レースの開催地であるフランスをイメージしたフレンチブルーがモチーフである。
メカニズム面に変更はないが、N1仕様に用意されたボンネットのフードトップモールとバンパー、エアダクト、そしてカーボン製のセンターリアスポイラーが装着されたエクステリアがモータースポーツ直系のイメージを高めている。10年前までは派手過ぎるカラーが敬遠されていたのか、中古相場は標準車と大きく変わることがなかったが、総生産台数は98台(14台がVスペック)と言われ、ライン生産された歴代GT-Rの限定車でもっとも数が少ないことから海外を中心に人気が高まり、現在は中古車価格の高騰が著しい一台である。
1996年【NISMO 400R】
(参考中古車価格1500万円以上)
日産のレース活動を支えるニスモが当時、盛り上がっていたカスタマイズシーンに一石を投じたコンプリートカーであり、ニスモのアフターパーツ市場参入の基軸となったクルマだ。1995年の自動車部品の規制緩和により、当時はチューニングが過熱。アフターパーツメーカーやショップはドラッグレースなどパワー至上主義に走っていたが、NISMOはスペックを追い求めることなく、トータルでクルマの魅力を引き上げることを提案。それを具現化したのがNISMO 400Rなのだ。
エンジンはグループAレースで無敵を誇った日産工機製のRB-X用パーツで2.8ℓに排気量を拡大。スペックは乗りやすさと信頼性を考えて400㎰/47.8㎏-mに抑えられているが、調律されたエンジンは低速のトルクが豊かで、ストリートからサーキットまで気持ち良いことこの上なかった。
パワーアップに対応してツインプレートクラッチ、カーボンプロペラシャフトなどレース直系のパーツを惜しみなく投入。エクステリアは専用のエアロパーツを装着し、ヘッドライトも最新のHIDシステムを組むなど、鮮度を高めることも忘れてはいなかった。
フットワークは「意のままに操る楽しさ」をコンセプトに開発。専用のビルシュタインのサスキットは、今となってはやや硬めの硬質な乗り味だが、ワインディングでは水を得た魚のように駆け回り、存分に走る喜びを堪能できる味付けであった。トータルで磨き上げられた400Rはパワーだけのじゃじゃ馬ではなく、モータースポーツというフィールドで鍛えられた名馬なのだ。
その後、装着された数多くのパーツ群は単品販売され、400Rのテイストを味わえると高い人気を得ることとなった。価格は新車のR33Vスペックの2倍以上する1200万円とかなり高価であったが、それでも55台を生産。所有する喜びを満たしてくれるGT-Rオーナー憧れのマシンだ。
1997年【R33型GT-Rオーテックバージョン40thアニバーサリー】
(参考中古車価格600万円以上)
当時、オーテックジャパンに籍を置いていたR32型スカイライン開発主管の伊藤修令氏と、R33型スカイラインの開発主管であった渡邉衡三氏というスカイラインの生みの親がタッグを組み、スカイラインの40周年記念車両として1997年12月に発売したのが、第2世代GT-R唯一の新車の4ドア仕様であるR33型「スカイラインGT-R・オーテックバージョン40thアニバーサリー(以下R33オーテック)」。
製作は4ドアの4WDモデルであるENR33を使用し、GT-Rのメカニズムを移植したのではなく、R33型GT-Rの2ドアをベースとして、Aピラーよりも後ろのボディを4ドア用と総入れ替え、リアフェンダーとリアドアはプレスラインで成形され、245/45R17のワイドタイヤ(当時)を収めるためフロントフェンダーと合わせてワイド化している。
グレードは1種類のみで、Vスペック仕様は存在しない。パワートレインは2ドアGT-Rから一切変更なく、280㎰/37.5㎏-mのスペックは変わらないが、エクステリアはフロントリップを後期型の大型仕様から前期型の小型タイプに交換し、リアスポイラーレス、メッキモール類を排除するなど、装飾は控えめ。これはGT-Rの原点である2代目スカイラインのS54型のニックネームであった「羊の皮を被った狼」をイメージしての手法だ。
インテリアは運転席から見る景色は2ドアのGT-Rとは変わらないが、シート生地、ドアトリムは専用品とし、後部座席はバケットタイプの2名乗車に変更されるなど、スポーティな演出も加えている。
R34型GT-Rにスイッチするまでの約1年間生産され、総生産台数は442台と言われている。ファミリーカーとしても使えるGT-Rとして今だ人気が高く、希少価値と相まって相場は徐々に上がっている。
2004年【NISMO Z-tune】
(参考中古車価格4000万円以上)
ニスモが手掛けてきた第2世代GT-Rカスタマイズの集大成といえる世界最強のコンプリートカーが、2004年に1690万円で発売されたのがR34型GT-Rベースの「Z-tune」だ。
第2世代GT-Rの限定車、コンプリートカーとして唯一中古車をベースとして製作されているのが特徴で、2000年から4年の歳月をかけて熟成を進めてきた。
良質な中古車をホワイトボディにして、各部のリペアを施したうえで、ドア開口部へのスポット増し、フロアトンネル、フロントストラット周辺をカーボンパネルを貼り付けるなどの補強は日産のカスタマイズを得意とする高田工業が担当。
パワーユニットは、ニュル24時間レース参戦で鍛えられた550㎰/55㎏-m以上を引き出す「Z2エンジン」。GT選手権で使用された高耐久なGTブロック/GTクランクシャフト/GTコンロッドを使用する。ピストンも専用設計された87φの鍛造品となるなど、レースのノウハウを存分にフィードバック。タービンも純正のギャレット製ではなくIHI製を採用した。
足まわりはドイツのザックス、ブレーキはフロント/リヤ共に大径化され、キャリパーはドイツのブレンボ製6ポットキャリパーに変更するなど、世界に名を轟かせる名品を惜しみなく投入するなど、妥協なき作り込みがなされている。
エクステリアはノーマルの雰囲気を損なわず、冷却や放熱性を高める形状を兼ね備えた機能美溢れるエアロパーツを開発するなど、さりげなくパフォーマンスを主張するスタイルがモータースポーツ直系のニスモらしい仕立てだ。20台限定で、19台がデリバリー。国内だけでなく、海外からもオーダーが届いたそうだ。
サーキット走行に軸足は向いているが、そのまま走って帰れる懐の深さを持つZ-tuneのコンセプトは、ニスモのアンテナショップである大森ファクトリーで現在展開している「クラブマンレーススペック(CRS)」に受け継がれていることは間違いない。
第2世代GT-Rの中でもっとも希少といわれるZ-tuneは、中古車市場にタマが出てくることはほぼないが、もし出物があればひと声4000万円というのが現在相場だ。
※記事内の中古車価格は編集部調べ(オリジナル度、ボディのコンディション、走行距離などにより価格は変動)