東レがレースで世界最高峰へと技術を推進
あれは2013年でしたから、もうひと昔も前のことになります。国内屈指のレーシングカーコンストラクターである童夢が、創業者の林みのるさんから代替わりする際に、傘下にあって同社の重要な生命線のひとつとされてきたカーボンファイバーの設計開発を担当してきた童夢カーボンマジックの全株式を、カーボン繊維(いわば素材)メーカーのTORAY(東レ株式会社)が購入し大きなニュースになりました。モータースポーツとの関わりが旧くから強かった東レを少し振り返ってみました。
レース現場との接点はより強靭に
2013年、東レの傘下企業となり童夢カーボンマジックは東レ・カーボンマジックへと社名変更されることになりましたが、童夢でレーシングカー開発を担ってきた奥明栄さんが引き続き社長を続けることで活動内容にも大きな変化はありませんでした。実際に現在でも、人気のレースSUPER GTをプロモートしているGTアソシエイション(GTA)にGT500のメインモノコックやFIA-F4などを童夢を介して納入するなどの営業活動は継続されています。
ちなみにTORAYは東レ・カーボンマジックを介して2018年の11月に、こちらも有名なレーシングカーコンストラクターであるムーンクラフトの全株式を購入してグループ会社としています。そんなTORAYですが遡れば、日本のレース界での存在感が大きくアピールされる動きが1980年代には始まっていました。
レーシングカーの頑強な基本形「モノコック」はカーボンファイバー
現在では、レーシングカーの様々なパーツにカーボンファイバーが使用されています。一番の大物としては、やはりモノコックでしょう。
カーボンファイバー製のモノコックを最初に使用したF1マシンは81年シーズンに向けてジョン・バーナードが設計したマクラーレンMP4/1と言われています。それまでにも、アルミのツインチューブをカーボンで成形したパネルと貼り合わせて剛性を高めたハイブリッド・モノコックがいくつか登場していましたが、カーボンでモノコック本体を成形したのはMP4/1が初めてでした。 その後、F3000やF3マシンでもカーボン・モノコックを採用するマシンも増えてきましたが、レーシングスポーツカーのGr.Cでは比較的普及が遅く、85年シーズン用にトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が開発したジャガーXJR-6が、その嚆矢(こうし)とされています。
これに対して国産マシンとしてはGr.Cカテゴリーのスポーツプロトタイプで、88年シーズンの全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に向けて開発されたトヨタ88C-Vが童夢で製作したカーボンファイバー製のモノコックを採用していて、これが国産の第1号とされています。