歴代スカイラインGT-Rにもあった弱点
箱スカ、ケンメリの後、17年振りに復活したR32、R33、R34と続いたスカイラインGT-Rはどれも魅力ある素晴らしいクルマたちである。しかし、それぞれハードウェア、周辺の背景に代表されるソフトウェア的なものを含めそれなりの弱点もあった。それがまた個性を引き立てていたと思えるだけに、ここで挙げてみようと思う。
「箱スカ」GT-Rのセダンは曲がりにくい
スポーツセダンとしてよくまとまっていた「箱スカ」と呼ばれた3代目スカイラインに、レーシングカーであるR380に搭載された2L直6DOHCエンジンを市販車向けに再チューニングしたS20型エンジンを搭載した「箱スカ」GT-RはGT-Rの名に相応しい日本最強のクルマだった。
しかし、当初4ドアセダンでデビューしたGT-Rはアンダーステアの強い、曲がりにくいクルマだったという。しかし遅れて追加された2ドアハードトップのGT-Rは、4ドアセダンのそれに対しホイールベースが70mm短縮されたこともあり、ハンドルを切った通りに曲がるニュートラルステアに仕上がっていたそうで、箱スカGT-Rの弱点を克服した。
「ケンメリ」GT-Rは排ガス規制に泣かされる
広告キャラクターから「ケンメリ」と呼ばれた4代目スカイラインのGT-R。が、登場こそしたものの、排ガス規制の開始という時代背景により、レーシングカーのコンセプトモデルが東京モーターショーに出展されたものの、結局わずか197台しか生産されず、モータースポーツにも参戦しなかったことがある意味最大の弱点だ。
ただケンメリGT-Rはケンメリスカイライン自体がボディサイズを拡大し、車重も若干増加したこともあり「モータースポーツに参戦しても箱スカほどの成績は納められなかっただろう」という意見もあったようだ。
結果「フロントヘビー」になったR32
17年振りに復活したR32GT-Rは薄れていたスカイラインのスポーツイメージを蘇らせるべく、「当時のグループAやグループNといったツーリングカーレースを制覇するためのベース車」という明確な目的を持ったモデルだった。そのために採用されたメカニズムがレーシングカーにした際に有利となる2600ccという中途半端な排気量のRB26DETTエンジンや、FRを基本に必要な時にだけ4WDとなるアテーサET-Sなどである。
R32GT-RはグループAのツーリングカーレースというカテゴリーがなくなってしまうほど勝利を重ね、狙い通りの大成功を納めた。しかし、市販車は直6エンジン+4WDというフロントの重さにより、コーナリングの限界域で強いアンダーステアが出るというのが最大の弱点だった。
R33はレース活躍はグループN
R33スカイラインでもGT-Rは継続され、R33スカイライン自体は箱スカからケンメリの時のようにボディサイズを拡大し、車重も若干重く、スカイラインとしては野性味のようなものに欠けるクルマだった。それでもR33GT-RはR32GT-Rの弱点を克服しただけでなく、すべての性能が向上しており、GT-Rの名に相応しいポテンシャルを備えていた。
しかし、R33GT-Rが登場した時にはグループAのツーリングカーがなくなってしまい、ル・マン24時間レースに参戦し、全日本GT選手権(現在のSUPER GT)でも活躍したものの、この2つに参戦したR33GT-RはFRとなっているなど市販車と離れたレーシングカーだった。そのためR33GT-Rは市販車に近いグループNのツーリングカーレースでは活躍したものの、箱スカやR32のGT-Rに比べると「レースに勝つためのクルマ」という目的が薄くなってしまったことが弱点だった。
日本最強を主張する「檜舞台」の現象と「280馬力規制」に阻まれたR34
R34GT-RはR32から続くRB26DETT+アテーサET-Sというパワートレーンを使った第二世代GT-Rの集大成として、完熟といえる仕上がりだった。
しかし、R33GT-Rの途中からランサーエボリューションやインプレッサWRX STIの台頭もあり、日本最強、最速のクルマとは言えなくなりつつあったことが残念だった。この点に対しては、R33以降「市販車のスカイラインGT-Rとモータースポーツの関係が薄れているなら、排気量を拡大すればいいのに」という意見もあったが、それは叶わず。さらに車重が1500kg級のスカイラインGT-Rも日本の280馬力規制も守らなくてはならなかったことも不運ではあった。
あえて弱点を挙げてみたもののスカイラインGT-Rの魅力は不滅であり、GT-Rファンなら弱点は気にせず自分が好きなGT-Rを愛したり、大切に乗ってほしい。