無冠のWRC帝王「アレン」と「S4」と
「ラリー037」に代わって、WRCに実戦投入されたのは1985年のこと。最終戦のRACラリーに参戦して、いきなり1位・2位に入ってデビューウインを飾る。1986年に入っても好調だったが、第5戦のツール・ド・コルスでコースアウトして崖下へと転落、炎上。
ドライバーのトイボネンとナビが死亡するという事故を起こしてしまったことから、過激化するグループBが問題視され、1986年内でのグループB中止が決定されてしまう。
その後も勝利を重ね、マニュファクチャラーとドライバー(マルク・アレン)の両部門を制覇したものの、第11戦のラリー・サンレモでのプジョーの規定違反についての裁定が覆って、両タイトルとも剥奪されてしまう。ランチアが無冠に終わったのは歴代通して「デルタS4」のみで、マルク・アレンが無冠の帝王と呼ばれたのもこの一件が関係している。
890kgしかない車体に、最終的に600馬力は出ていたとされるエンジンを積んでいただけに、プロドライバーでもコントロールが難しかったのは事実。カテゴリーがなくなってしまうほどの事故を起こしたこともあって、S4の進化は続かず、インテグラーレにその道を譲り、WRCからは姿を消してしまった。