AMGがエンジンの手組みを続ける本当の理由
メルセデス・ベンツの標準車は大量生産のエンジンを組み付けるのに対し、メルセデスAMGのエンジンは、手作業で組まれたものが搭載されている。これほどまでに技術が進歩した現在でも、なぜ手作業でエンジンを組み立てる必要があるのだろうか。メルセデスAMGの「手組みエンジン」について迫ってみたい。
手組みエンジンのメリット
以前と違い現在のクルマの製造現場は、技術的なブレイクスルーによってオートメーション化がかなり進歩している。特に複雑で、しかも高度な精度が求められるエンジンの組み立てにおいて、0.01mmオーダーの加工、締め付けトルクの管理なども、大きく性能アップしたロボットによって高精度で行なうことができる。だとすると、エンジンの組み立ての全工程を人間がやる必要はないと思われるかもしれない。
しかし、高品質なものをラインで組み立てようとすると、それに適した生産台数がないとコスト面での計算が合わない。大量生産で高い品質を維持するのは、お金も手間もかかってしまうのだ。それならば熟練工に1台1台組立てを任せた方が品質的にも良いものができ、また改良を頻繁に行なう場合にも、手組みなら簡単に仕様変更できる。
大量生産ラインではそれぞれのパーツ寸法のマージン、一刻も引き延ばすことができない猶予などで「攻め込めない領域」があるが、手組みであれば精度の高い“組み付け・はめ合い”ができる。手組みされたメルセデスAMGエンジンを分解してみると、その精度の高さに熟練工の匠の技がよく理解できるであろう。
「One man-One engine」の哲学
メルセデスAMGモデルの魅力を一言にまとめるのは難しい。しかし、純粋にそのハードウェア、そしてパフォーマンスの観点から言えば、やはりそのエンジンこそがAMGの魅力の源泉である。
AMGに搭載されるエンジンは「One man-One engine(ワン・マン=ワン・エンジン)」の哲学によって、1人のマイスターがひとつのエンジンを手作業で丹念に組み上げて世に送り出される。そのルーティンワークは50年以上貫かれており、エンジンの上に輝くマイスターのサインが刻まれたプレートは正にそのクラフトマンシップの証しだ。
オートメーション化が当り前の現在、メルセデスAMGは頑なにマイスターによるエンジン組み立て手作業を守り続けている。ともすれば、頑固なマイスターが昔堅気のスタイルでエンジンと向き合うという「紋切り型の職人」の作業風景をイメージされがちだが、実際のメルセデスAMGエンジン工場はもっとスマートかつ効率的。雰囲気も明るく、エネルギッシュな空間となっている。
AMGはごく小さな部品に至るまで精密に造り込む妥協のない設計姿勢のもと、幾多のベンチテストや公道テストを重ねて行ない、それを検証。エンジンテストは、最高6700rpm、連続2300時間、最高温度970℃の中で、最先端の試験機を用いて行われる。実際の使用条件を遥かに超えた実験に耐えることで揺るぎない信頼性を生み出し、さらにマイスターの匠の技も融合させAMG独自のポテンシャルを最大限に引き出しているのだ。
エンジンを組み立てられるのは選ばれし者
良いエンジンを造り上げるには良い人材が必要だ。AMGは何よりも人を大切にしている。何故なら、AMGエンジンを造るのは“人”だからだ。AMGエンジンを組み立てるマイスターになるには、かなりの経験と匠の技を備えていなければならない。
各自整備学校で3年間みっちり勉強し、その中でもトップクラスの者が選抜され、半年の研修期間を経て、AMGの試験を受ける事ができる。合格して入社後、先輩メカニックや上司から十分な研修を受け、資格を取得したマイスターだけがエンジンの組み立てを許されるのだ。
最低でも5年以上、しかも全てにおいて優秀なメカニックでなければ、ここでは働けないと言われている。しかもエンジンに対する情熱を持ち、感覚を研ぎ澄まし、そして機械では測れないレベルの精度を妥協せずに追求する精神も持ち合わせていなければならない。
メルセデスAMGの選ばれたマイスターだけがエンジンの組み付けを許される理由は、手組みでないと出せない領域があるからだ。確かに、生産ラインを流れてくる機械に、流れ作業で人間やロボットが部品を組み付けて行くのは量産品を造る上で効率的である。
しかし、エンジンは繊細な機械の塊だ。特にAMGのエンジン部品は、世界最高水準の精度を誇るメルセデス・ベンツが定めた許容範囲のさらに半分という驚くべき高精度を追求。わずかなズレやゆがみでも、本来エンジンに求められるパフォーマンスが発揮できなくなるからである。
メルセデスAMGは手組みによって、そのわずかなズレ、ゆがみやクリアランスの微調整まで含めて妥協なく正確に組み付け、量産レベルをはるかに超えた精度の目標値を満たしている。この手組み作業をもっとも効率的であると実践してみせるところが、メルセデスAMGのじつに素晴らしい体制といえる。
マイスターによる作業はすべて記録される
工場内は塵や埃がなく清潔でなければならない事が必須で、じつに清潔だ。事実、この清潔な工場で各マイスターにはエンジンと工具類を載せるキャスター付きカートが与えられ、天井から吊り下げられた工具が良い例だと言える。例えば、この最新鋭の工作機械でボルトが仮に斜めに入った場合、わずかな圧力を感知して工作機械が即座に止まるシステムだ。
AMGでは、いつ、誰が、どの部分を作業して、何をしたか、すべて工具と連動で記録されている。もちろん、締め付けトルクなどの数値データも記録されているので、後々わかることもあり、各メカニックが責任を持って組み立てている。つまり、性能云々よりも信頼性が第一主義なのである。
こうして組み上げられたエンジンのヘッドカバーには先述のとおり、最後に担当のマイスターの名前が彫り込まれたプレートが貼り付けられる。メルセデス・ベンツの最上級グレードAMGエンジン開発と作業に携わるマイスターの誇りと強い意志が込められているとも言える。
現行型AMGはライン製造のエンジンもあり
しかし、現メルセデスAMGエンジンの内、ライン製造のM256・直6ターボエンジン(53系モデル)、M276・V6ツインターボエンジン(43系モデル)、M260・直4ターボエンジン(35系モデル)には、このマイスターのサインプレートは貼付されていない。その主な理由として、AMGはメルセデス・ベンツ各車種の最上級モデルとして位置するが、メルセデスAMGエンジンや車種の多様化で50以上のモデルがあり、生産台数が増えている現在では、一部のAMGエンジンを除いてライン製造にシフトされているからだ。
例えば「AMG E53 4MATIC+」シリーズに搭載される3リットルDOHC直列6気筒ターボエンジン(M256)は、ほかのメルセデス・ベンツ標準車「E450 4MATICエクスクルーシブセダン/ワゴン/クーペスポーツ/カブリオレスポーツ」「GLE450 4MATICスポーツ」にも搭載。また「AMG C43 4MATIC」シリーズに搭載される3リットルDOHC V型6気筒ツインターボエンジン(276M30)は、標準車の「S560eロング」「S450 4MATICクーペ」に、さらに「AMG A35/CLA35 4MATIC」シリーズも然りで、2リットルDOHC直列4気筒ターボエンジン(M260)は、標準車「A250 4MATICセダン」「CLA250 4MATICクーペ/シューティングブレーク」にも搭載されている。
従って上記のAMG「53」「43」「35」系モデルに搭載されているAMGエンジンは純然たるメルセデス・ベンツのライン製造エンジンなので、マイスターのプレートは貼付されていないわけである。もちろん、このAMG 53・43・35系モデルの馬力やトルクは、標準モデルよりも若干上回っているのは周知のとおりだ。
AMG党からすれば、このマイスターのプレートが貼っているか否かが議論の的となるのは当然のことかもしれない。それほどOne man – One engine(ワン・マン=ワン・エンジン)というAMG伝統の哲学は、顧客の要望に真摯に向き合うメーカーとしての熱い思いがうかがえる手法なのである。
メルセデスAMGの生い立ち
最後にメルセデスAMGについて、その生い立ちを振り返ってみたい。1967年に、当時のダイムラー・ベンツ社のエンジンテスト部門に勤めていた「ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト」が、彼の兄「フリ-ドリッヒ」とエンジニアの「エルハルト・メルヒャー」をパートナーに迎え入れ、わずか3人でメルセデス・ベンツのチューンアップ会社としてAMG社を立ち上げた。
1978年、ドイツのモータースポーツ誌が突然「メルセデス・ベンツをチューンしたAMG社」の記事を掲載したから大騒ぎとなった。以来、世界中のメルセデス・ベンツオーナーが憧れる「メルセデスAMG」を実現してきた。
AMGが日本に正規輸入されたのは1989年で、輸入1号は「W124ハンマーバージョン」。当時のマシンはまだレースチューンそのもので「野獣のAMG」だった。創業以来、AMGはモータースポーツへの挑戦と勝利を通して実証した高性能なエンジンを開発する独自の技術力で、レーシングカーはもちろん、顧客の要望に応えるスポーツカーを数多く手がけてきた。
2005年に100%の株をダイムラー社が保有して新たに設立された「メルセデスAMG社」は、現在1410人を抱える大企業に成長している。マニアの間では、2014年からサブブラントとしてメルセデス・ベンツファミリーに迎え入れら最上級の地位を得たメルセデスAMGは、すっかり正装化し紳士になってしまった感があると言われている。
もちろん、そのトータルバランスに優れる性能は一層磨きがかかり、メルセデス・ベンツのモデルらしく、すべてが完熟域に達して貫禄も備えた。しかし、そうなるとマニアの間ではひと昔前のアドレナリンを注入した「野獣のAMG」が懐かしくなると囁かれている。