競技の戦場はWRCから砂漠へ
Gr.BがWRCから締め出された87年から205T16の主戦場となったのは、日本国内でも“パリ・ダカ”の愛称で根強い人気のパリ~ダカール・ラリー(現ダカール・ラリー)。WRCのチャンピオンマシンとなった205T16をベースにボディ/ホイールベースをストレッチした205T16グランレイド(GR)を開発。87年と88年にはライバルを一蹴する強さを見せつけて2連覇を果たし、プジョーのエンブレムをもじって『砂漠のライオン』と呼ばれるようになりました。
また87年にはパイクスピーク・ヒルクライムにも挑戦。ワルター・ロールのアウディ・クワトロに僅差で敗れたものの、WRC以来となるアウディ・クワトロとのバトルが再現されています。さらに、こうして培われたノウハウは、後継競技車両となる405ターボ16の開発にも寄与。桁違いに大きなリアウィングを持つパイクスピーク仕様や、パリ~ダカール・ラリー仕様の405T16GRへと生かされています。