「もっとも信頼できるクルマ」として世界に名をとどろかせた四輪駆動車
戦後、日本の経済、産業の復興を成し遂げるために誕生したランドクルーザー。目まぐるしく変わる世界経済や、厳しくなっていく自動車を取り巻く環境の中、生産を終え、消えていく自動車も少なくはない。だが、ランドクルーザーは今もなお、生産が続き世界中で走り続けている。世界はランドクルーザーに何を求めているのか、なぜファンを熱くさせるのか。ランドクルーザーの誕生から現在までの歴史を振り返ってみよう。
トヨタ・ジープBJ型(1951年-1955年頃)
■ヒストリーはここから始まる
トヨタは戦後、GHQにより設置された警察予備隊(現・陸上自衛隊)への小型四輪駆動車納入を目指し、手持ちのパーツを使い1トン積みトラック・SB型のシャシーにB型ガソリンエンジンを搭載した試作車を1951年に完成させた。当時『ジープ』は四輪駆動車を指す言葉と認識されていたため『トヨタ・ジープ』と名づけられた。
搭載された3386cc水冷直列6気筒OHVエンジンはパワフルで、これと組み合わされた4速のトランスミッションがローギアード仕様だったのもあり、1速トランスファーでも大柄な車体を富士山6合目まで登攀させるほどの高い走破性を誇った。
これほどまでのパフォーマンスを発揮したトヨタ・ジープだが、警察予備隊車両採用のコンペティション・入札の結果では、三菱がライセンス生産する「ウイリス・ジープ」に敗れ不採用となった。
また1954年「ジープ」の名称が商標権に抵触するということで、『ランドクルーザー』と改名された。市場に台頭してきていた『ランドローバー』に対抗し、ROVER(海賊、海賊船)を駆逐するという思いを込め、CRUISER(巡洋艦)『ランドクルーザー』と命名されたのであった。
ランドクルーザー20系(1955年-1960年)
■日本車世界進出の先兵
ランドクルーザーの優れた走破性と耐久性は市場にマッチした民生モデルになった。ボディスタイルのリニューアル、トランスミッションのギア比の見直し、乗り心地の向上と、1955年に初めてのモデルチェンジをおこない、20系となった。
ボディタイプはショートにソフトトップとハードトップ。ミドルにソフトトップ、ハードトップ、バン、ピックアップが登場。FJ35Vとなるロング4ドアステーションワゴン、そして架装を配慮したキャブシャシーなどバリエーションが豊かになった。
エンジンは従来のB型ガソリンエンジン(3.4リッター直6)に加え、F型水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン(3878cc)も設定され、ほとんどの車型で両方のエンジンが選べるようになった。
20系デビューの翌年から海外マーケットの開拓が始まる。最初は発展途上国を中心にランドクルーザー市場は増加。アメリカでも高速走行をこなしユーティリティーに優れた四輪駆動車をSUVとして楽しむユーザーが増えランドクルーザー20系の販売台数は伸びていった。
1960年には日本の新聞社がFJ28VAでアメリカアラスカ州フェアバンクスからチリのプエルトモントまで、途中、同年に起きたチリ大地震直後の街も走り、総走行距離32万212kmを117日間かけ走破。アメリカ大陸縦断は世界初の快挙、ランドクルーザーの走破性と耐久性を世界に立証する冒険ともなった。