80年代なかば若者を酔い痴れさせたホットハッチとは
小型ではあるがスポーティな走りが侮れないクルマの「ホットハッチ」。1976年、インジェクション仕様のSOHC1.6リッター110psエンジンを積むVWゴルフGTIがデビュー。これがきっかけとなり「ホットハッチ」のブームは始まっていった。そして日本市場での高性能2ボックスカーの登場は、これより数年遅れた1980年代初頭のことだった。
ところで、ホットハッチの定義だが、単なる高性能車ではなく、高性能ゆえにそれを御するテクニックを要したモデル、言い替えればドライバーを熱くさせた走りのモデル、と位置付けてよいのかもしれない。そんなクルマを今また振り返って見たい。
ミラージュがキャブレター・ターボの意気込み
高性能を操るドライバー冥利に尽きるクルマ、まずまっ先に名乗りを挙げたのが初代三菱ミラージュだった。
1982年、マイナーチェンジを受けたミラージュIIの1.4リッターモデルにターボを装着したモデルがその始まりだった。クラス初のターボエンジンで105psを発生したが、キャブレターターボだっところに時代性をうかがわせていた。
当然ながら、他社の2ボックスカーが自然吸気エンジンだった時代にターボエンジンを投入したわけだから、動力性能が群を抜いて目立っていたことは言うまでもない。日本車「ホットハッチ」の口火を切るモデルとなったのである。
なお、ミラージュ系はその後モデルチェンジを重ねて性能を引き上げていくが、熱い走りという意味では、まさにこの初代ミラージュターボが特徴的だった。
ずんぐりとパワフルなシティターボ
このミラージュターボに、わずかの時間差で続いたのが2ボックスカーの元祖ホンダだった。しかし、ホンダはシビックでなくニューモデルのシティで高性能バージョンを企画。シビックより若い層を対象とするシティのほうが、高性能化の対象になり得るという判断だった。
1981年、背の高いトールボーイスタイルでデビューしたシティは、翌年1.2リッターSOHCエンジンにターボを装着した100psのシティターボを追加。しかし、67psの標準仕様でも小気味よく走ったシティの高出力化は、むしろエンジン性能が先行するかたちになり、車体剛性、サスペンション、ブレーキなどが追い付かず車両の「ジャジャ馬」化を招いていた。
そのエンジン性能先行型のシティターボに、さらにインタークーラーを装着し、ワイドタイヤとオーバーフェンダーで武装したターボIIが登場。110psに引き上げられたパワーは、場面によっては2リッター級GTカーすらカモにできたが、反面、性格的にはかなりの暴れ馬となり、まさにホットハッチと呼べるモデルだった。
マツダ「赤ファミ」への欲望がブレイク
さて、シビックが2ボックスカーの原点といえる存在なら、2ボックスカーを日本市場に定着させたモデルがマツダ・ファミリア(BD型)だった。1980年、それまでのFR方式からFF方式に変更して登場。1.5リッターを中核モデルとして登場したが、垢抜けたデザイン、イメージカラーの赤が強い印象を与え、赤いファミリア、通称「赤ファミ」で大ブレークした。
ファミリアは、パワー、ハンドリングとバランスに優れるモデルだったが、1983年、1.5リットルSOHCのE5型エンジンにターボを装着したターボを追加。自然吸気仕様の85psから30psアップの115psとなったが、過給制御に留意したことで、扱いやすい力強さが特徴のモデルだった。完成度の高いホットハッチとして支持された。
そのBD型は1985年のフルチェンジでBF型に発展。主力エンジンは、1.6リッターの4バルブDOHC、B6型に変更され、さらにターボを装着した140ps仕様が追加され、FFホットハッチの頂点を極める性能を発生。
さらに、このエンジンにフルタイム4WDを組み合わせる4WDターボをリリースし、強大なターボパワーを無駄なく走行エネルギーとして路面に伝える手法を実践。このファミリア4WDターボは、グループA規定下のWRCスウェディッシュラリーで総合優勝を果たす性能の高さを実証。最強のホットハッチと言えるモデルにのし上がっていた。