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レースに青春を捧げた男を虜にした本物のスポーツ! 庶民がリトラを手にできた初代RX-7の感動

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TEXT: 御堀直嗣(Mihori Naotsugu)  PHOTO: Auto Messe Web編集部,MAZDA,PORSCHE

レース初心者としてのRX-7への想いから

 1978年といえば、私はスズキフロンテに搭載された2ストローク3気筒エンジンのフォーミュラカー、FL500での参戦を開始した年であり、レース活動にすべての収入をつぎ込んだ。そのため自分のクルマを持つゆとりはなかった。それでもRX-7には憧れた。

 その後、FJ1600のレース参戦を経て81年で引退したあと、いよいよ中古のRX-7を購入したのである。車体色は、若草色が欲しかったが、中古車では選択肢が豊富ではないため黄色となった。前の所有者は女性で走行距離が短く、しかも屋根付きの車庫で保管されていたとのことで、程度はよかった。しかし逆に、エンジンをほとんど回さず運転していたようで、ロータリーエンジンであるにもかかわらず当初は高回転まで滑らかに吹き抜けなかった。サバンナRX-7

 乗り込むうちにエンジンの調子も戻り、まさに最高回転数のレッドゾーンに近づいてもなお回り続けようとするロータリーエンジンの持ち味を体験した。一方で、トルクは強くなく、強烈な加速ではなかったが、のびやかに速度を上げていく様子にロータリーエンジンらしさがあった。ただロータリーエンジンらしさという点では、エンジンブレーキがほとんど効かなかった。レシプロエンジンのように、ピストンの上下動のない、回転式エンジンのためだ。RX-7の運転席

 憧れだったリトラクタブルヘッドライトのスポーツカーをいよいよ手にした私は、筆者としてレース取材の仕事をうけおい、鈴鹿サーキットまで走ったこともある。ガラスのリアハッチバックを開け閉めするときでさえ、胸が躍った。唯一の難点は運転席の生地が弱く、破けてしまうことだった。これはほかの所有者も悩まされた点だったようだ。

 それでも、レースに明け暮れた末に最初に買ったクルマが日本のスポーツカーで、なおかつロータリーエンジンであることは、生涯忘れないだろう。

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