4代目パルサー(1990年~1995年)
1990年5月にフルモデルチェンジを果たしたパルサーは、兄弟車であったラングレーとリベルタビラを取り込んで単一車種となった。ボディタイプは先代に引き続き、4ドアセダンと3ドアハッチバック、5ドアハッチバックとなっていたが、5ドアハッチバックは先代のような3ドアハッチバックの延長線上ではなく、初代や2代目のように寝かされたリアウインドウを持つ欧州的な5ドアハッチバックとなっていた。
そしてこの世代のパルサーを語る上で外すことができないのが、WRC参戦のホモロゲーションモデルとして開発された「GTI-R」だろう。ベースのパルサーで最も大きなエンジンは1.8リッターNAのSR18DE型だったが、GTI-Rには2リッターのインタークーラーターボとなるSR20DET型エンジンを搭載。それに合わせてボンネットには大きなエアスクープが備え付けられた。
そして駆動方式はフルタイム4WDのアテーサを搭載し、万全の体制でWRCに参戦するが、発熱量の大きなエンジンの冷却問題や、純正で14インチタイヤ仕様だったためにタイヤやブレーキのアップグレードができず、WRCでは望むような活躍は出来ずに終わってしまった。
5代目パルサー(1995年~2000年)
サニーとの部品共用化が大きく進んだ5代目パルサーは、それに伴ってボディサイズも拡大。
当初は3ドアハッチバックと4ドアセダンのみのラインナップとなっていたが、96年5月に5ドアハッチバックボディにSUVテイストをプラスした、今でいうところのクロスオーバーSUVとなる「S-RV」が追加。
WRC撤退後ということもあり、ターボエンジンを搭載したホットモデルは再び姿を消し、最もホットなモデルはハイオク仕様のSE18DE型エンジンを搭載したグレードとなっていた。しかし、96年6月にオーテックジャパンが手掛ける「オーテック・バージョン」が追加。これはラインナップにはないSR20DEをベースにチューニングを施した上で搭載し、専用の5速MTと組み合わされていた。
97年9月のマイナーチェンジでは、新たなホットモデルとして、NEO VVLを採用して175PSを発生するSR16VE型エンジンを搭載した「VZ-R」を新設定(セダン、ハッチ、SR-V)。さらに、当時日産が参戦していたスーパー耐久用のペース車両として3ドアハッチバックをベースとした「VZ-R・N1」も用意された。
クランクシャフトやフライホイールのバランス取りに始まり、ポートや燃焼室、吸排気のマニホールドなどの研磨といったN1ならではのチューニングを施したもので、1.6リッターの排気量はそのままに200PSを発生させるハイチューンエンジンとなっていた。これは当時最強と言われたEK9型シビックタイプRの185PSを凌ぐものだったのだ。
そして2000年をもってパルサーの国内販売は終了。セダンはサニーへ、ハッチバックは2004年に登場したティーダが実質的な後継車となった。
しかし、海外ではパルサーの名前はその後も使われており、6代目パルサーとしてオセアニア地域を中心にN16型が販売され(ちなみにN17型はラティオとなる)、7代目としては日本でのシルフィをベースとしたセダンと、日本では未販売だった2代目ティーダをベースとしたハッチバックが販売されるなどしていた。
しかし、残念ながら現在はすべて販売終了となっており、パルサーの名前は世界的に途絶えたままとなっている。一時は一世を風靡したモデルだけに復活に期待したいところであるが、果たして……?