スカイラインやサニーだけが日産にあらず! いぶし銀の実力者「パルサー」
日産のベーシックカーとして1966年に登場したサニーは、カローラと長きに渡ってライバル関係であり、互いに切磋琢磨しながらその実力を磨いてきたモデルだった。
そんなサニーと同じクラスにもう1車種日産車が存在していたことを覚えているだろうか? それこそが1978年にデビューしたパルサーである。
初代パルサー(1978年~1982年)
パルサーは1970年に日産車初の量産前輪駆動車として発売されたチェリーの後継車種(正確には2代目のチェリーF-IIの後継)として登場したモデルで、当時後輪駆動レイアウトを採用していたサニーとは異なるキャラクターを与えられていたのだ。
実際にどのようなキャラクターが与えられていたのかというと、当時のカタログにも書かれていた「パルサー・ヨーロッパ」の文字が示す通り、欧州市場を強く意識したモデルだったのである。カタログ写真にはパルサーの後ろにフォルクスワーゲン ゴルフ、ルノー サンク、クラシックミニなど、名だたる欧州のFFコンパクトカーが並べられたものが使われており、それらをライバル視しているのは明白だったと言えるだろう。
なお、初期型は傾斜したリアウインドウを持ちながらもハッチバックではなく、独立したトランクを持つ4ドアセダンだった。その後3ドアハッチバックと2ドアクーペ、そして5ドアライトバンが追加され、4ドアセダンが5ドアハッチバックと入れ替えられたのはデビュー翌年の79年9月のことだった。
80年のマイナーチェンジでは、丸目ヘッドライトと鉄バンパーを(当時の)現代風となる角目ヘッドライトとウレタンバンパーに変更。そしてモデル末期の81年3月には搭載エンジンをA型からE型に変更する。
これは81年10月に登場した初のFFサニーである5代目モデルと同様のパワートレインであり、先行販売することで市場の反応を見る意図があったのかもしれない。
2代目パルサー(1982年~1986年)
1982年4月に2代目となったパルサーは、基本的にキープコンセプトだったが、2ドアクーペを「パルサーエクサ」と改め、パルサーとは異なるリトラクタブルヘッドライトを備えるノッチバッククーペへと変更。
またこの時代に日産はアルファロメオと合弁会社を設立し、2代目パルサーをベースとした「アルファロメオ アルナ」を発売。
エンジンやトランスミッション、サスペンションの一部にアルファロメオ製のものを搭載したアルナは商業的には失敗したといわれているが、技術面では得るものも多かったという説もあるほどで、日本ではアルナは販売されなかったものの、そのイメージを踏襲した「ミラノ」というグレードは人気のグレードとなっていた。
3代目パルサー(1986年~1990年)
3世代目へと進化したパルサーは、この時点で国内登録51万台弱に対して輸出が126万台強と、すでに海外で高い支持を集めるモデルへ成長していた。なかでも欧州での人気は高く、およそ70万台が欧州市場向けだったと言われているほどだった。
もちろん国内での評価も高く、第7回カー・オブ・ザ・イヤーを兄弟車のラングレー、リベルタビラ、派生車種のエクサと共に受賞する。これは日産車としては初めての受賞となる記念すべきものだった。
また、メカニズム的には先代に存在していたターボエンジン仕様を廃して、新開発の1.6リッター、ツインカム16バルブエンジンのCA16DE型を追加したり、量産車世界初となるビスカスカップリング式4WDを搭載したモデルもラインナップ。
これは後にスカイラインGT-Rなどに搭載されることになる日産自慢の4WDシステム「アテーサ」の前身とも言えるもので、次世代のパルサーに繋がるものでもあった。
4代目パルサー(1990年~1995年)
1990年5月にフルモデルチェンジを果たしたパルサーは、兄弟車であったラングレーとリベルタビラを取り込んで単一車種となった。ボディタイプは先代に引き続き、4ドアセダンと3ドアハッチバック、5ドアハッチバックとなっていたが、5ドアハッチバックは先代のような3ドアハッチバックの延長線上ではなく、初代や2代目のように寝かされたリアウインドウを持つ欧州的な5ドアハッチバックとなっていた。
そしてこの世代のパルサーを語る上で外すことができないのが、WRC参戦のホモロゲーションモデルとして開発された「GTI-R」だろう。ベースのパルサーで最も大きなエンジンは1.8リッターNAのSR18DE型だったが、GTI-Rには2リッターのインタークーラーターボとなるSR20DET型エンジンを搭載。それに合わせてボンネットには大きなエアスクープが備え付けられた。
そして駆動方式はフルタイム4WDのアテーサを搭載し、万全の体制でWRCに参戦するが、発熱量の大きなエンジンの冷却問題や、純正で14インチタイヤ仕様だったためにタイヤやブレーキのアップグレードができず、WRCでは望むような活躍は出来ずに終わってしまった。
5代目パルサー(1995年~2000年)
サニーとの部品共用化が大きく進んだ5代目パルサーは、それに伴ってボディサイズも拡大。
当初は3ドアハッチバックと4ドアセダンのみのラインナップとなっていたが、96年5月に5ドアハッチバックボディにSUVテイストをプラスした、今でいうところのクロスオーバーSUVとなる「S-RV」が追加。
WRC撤退後ということもあり、ターボエンジンを搭載したホットモデルは再び姿を消し、最もホットなモデルはハイオク仕様のSE18DE型エンジンを搭載したグレードとなっていた。しかし、96年6月にオーテックジャパンが手掛ける「オーテック・バージョン」が追加。これはラインナップにはないSR20DEをベースにチューニングを施した上で搭載し、専用の5速MTと組み合わされていた。
97年9月のマイナーチェンジでは、新たなホットモデルとして、NEO VVLを採用して175PSを発生するSR16VE型エンジンを搭載した「VZ-R」を新設定(セダン、ハッチ、SR-V)。さらに、当時日産が参戦していたスーパー耐久用のペース車両として3ドアハッチバックをベースとした「VZ-R・N1」も用意された。
クランクシャフトやフライホイールのバランス取りに始まり、ポートや燃焼室、吸排気のマニホールドなどの研磨といったN1ならではのチューニングを施したもので、1.6リッターの排気量はそのままに200PSを発生させるハイチューンエンジンとなっていた。これは当時最強と言われたEK9型シビックタイプRの185PSを凌ぐものだったのだ。
そして2000年をもってパルサーの国内販売は終了。セダンはサニーへ、ハッチバックは2004年に登場したティーダが実質的な後継車となった。
しかし、海外ではパルサーの名前はその後も使われており、6代目パルサーとしてオセアニア地域を中心にN16型が販売され(ちなみにN17型はラティオとなる)、7代目としては日本でのシルフィをベースとしたセダンと、日本では未販売だった2代目ティーダをベースとしたハッチバックが販売されるなどしていた。
しかし、残念ながら現在はすべて販売終了となっており、パルサーの名前は世界的に途絶えたままとなっている。一時は一世を風靡したモデルだけに復活に期待したいところであるが、果たして……?