ターボを熟成し 富士の1000kmで総合優勝/セリカLBターボ(TA27改)
1968年に登場したマークⅡはコロナをベースにしたトヨタ1600GTの兄貴分で、1900ccのツインカムエンジン(10R)を搭載したホットモデル、1900GSSもラインナップしていました。ただしツーリングカーレースでGT-Rと直接争う機会があまりないままに、トヨタ7から継承したターボチャージャー熟成のテストベッドに務めることになりました。
さらにその後継として72年に登場したモデルがセリカLB 1600GT(TA27)でした。元々は1600ccクラスのツーリングカーレースにデビューし、2000ccのツインカムエンジン(18R-G)を搭載したセリカ2000もレースデビューを果たしていましたが、GT-Rから王座を奪った新王者のRX-3を相手に苦戦しており、こちらもマークⅡと同様にターボの熟成をメインテーマにRクラスでの参戦を続けることになりました。
そんな開発者の想いが結果に繋がったレースが73年の富士1000km。高橋晴邦/見崎清志組が片山義美/岡本安弘組のサバンナRX-3を振り切って優勝を飾りました。また60年代後半のトヨタ2000GTから耐久レースで強さを発揮してきたトヨタ・ワークスらしく、このレースではセリカ1600GTもRX-3に次ぐ総合3位を奪っていました。
公式通りのハイパフォーマンスカー/カローラ・レビン&スプリンター・トレノ(TE27)
1970年代前半のツーリングカーレースは、2ℓクラスがスカイラインGT-RとRE軍団がデッドヒートを展開する一方で、1300ccクラスでは王者のカローラとパブリカの連合軍をサニーが追い詰めるという流れになっていました。
そしてブルーバードSSSやベレットGTを蹴散らして王者となったトヨタ1600GTもスカイラインGT-Rに蹴散らされ、結果的に“空白”となりつつあった1600ccクラスに新たに登場したのがセリカ1600GTでした。そしてセリカがターボの開発に専念するようになった後は、その1.6ℓのツインカムエンジン(2T-G)を一回りコンパクトなカローラ/スプリンター(2代目となるE25系)のボディに移植したホットモデル、カローラ・レビンとスプリンター・トレノが主戦マシンとして投入されることになりました。
RX-3もそうでしたが、一回りコンパクトなボディにひとクラス上のハイパワーなエンジンを移植するのは、古今東西、ハイパフォーマンスカーを作る上での公式であることを証明した格好となり、そしてワークス・セリカの主力が上級クラスに移行した後はプライベートのセリカとともに、1600ccクラスを事実上の(2T-Gエンジンの)ワンメイクとしてしまいました。
多重クラッシュの派手なデビューと1年後のリベンジ/日産サニー・エクセレント(KPB110改)
1600㏄クラスを事実上のワンメイクとしたレビン/トレノに切り込んでいったのがサニー・エクセレント(KPB110)でした。市販モデルのサニー・エクセレントは、1200㏄クラスのサニー(B110)のノーズを引き延ばしてブルーバードに搭載されていた1400㏄のL14エンジンを搭載していましたが、レース仕様は1.6ℓにまで排気量を拡大し、ライバルに対抗していました。
1972年の日本グランプリでは予選でレビンやセリカに一歩遅れを取り、決勝でもスタート直後の多重クラッシュ。散々なデビュー戦となってしまいましたが、1年後にレースオプションのツインカムヘッドを組み込んだL14改エンジンに換装。車両型式もKPB110改へと変更されていました。レース専用に開発され、電子制御式の燃料噴射システムを搭載していたL14改は、ライバルを20馬力も上回る195馬力を発生していました。
73年の4月に日産系のSCCNが主催するレース・ド・ニッポンでデビューしたKPB110は、デビュー戦こそリタイアに終わりましたが、リベンジの舞台として照準を定めていた5月の日本グランプリでは予選から見事なパフォーマンスを発揮してトップ3を独占。決勝でもトレノやセリカに先んじて表彰台を独占。1年前の、悪夢のようなデビュー戦の雪辱を果たすことになりました。