クルマの高性能が市販バージョンとして公認される流れ
かつて量産車によるモータースポーツは、とくに生産車に対する制限は年間の生産台数(これがないとごく少量生産の特別仕様車がレースに出てきてしまう)ぐらいで、事後の大きな改造が認められていた。もちろん、最低限の公平性を保つため、改造範囲の規定は設けられていたが、いわゆるチューニング次第で戦闘力を引き上げることができる規則だった。
ところが、自動車に関する社会的制約が大きくなるなかで、度を過ぎた改造は認められない時代を迎えることになる。発端は、ナンバーを付けて走る公道競技、ラリーカーだった。排ガス規制値を達成し、10モード燃費など車両の型式認定にあたって必要な公認数値が、競技車両への改造で異なったものになってしまうのは、いかにもまずいだろう、という疑問である。
このため、ノーマルカー規定(最低限の改造しか認められない)が考え出され、適用されることになったのだが、競技戦績が間接的に企業の名声につながるメーカーとしては、勝てるクルマを用意したいと考えることになる。では、どうすればよいかという話になるが、競技仕様が生産車として販売されるのなら問題ない、という解釈につながり、限定車という発想が生まれたのである。
簡単に言ってしまえば、他の市販車と異なる特別仕様の装備、性能を持つ高性能車ということである。当然ながら、性能重視の自動車ファン憧れの存在となっていた。
公道競技のラリーから市販車スペシャルが続出
まっ先に登場したのは、いすゞ・ジェミニZZ-Rのラリースペシャル(1982年)だった。ピストン/コンロッドの重量バランスや吸排気ポートの研磨、フライホイールのバランスどりを行ったエンジンを搭載したのである。レスポンスが向上し、高回転時にパワーの頭打ちがないエンジンで、当時全日本選手権ラリーのチャンピオンカーだったことも手伝って、またたく間に完売した。
これを追って登場したのがセリカGT-TS(TA64型)だったが、こちらは当時の世界ラリー選手権(WRC)規定であるグループB規定のホモロゲーションモデルとして作られていた。ジェミニとは意図が異なるモデルで、グループBラリーカーとして使うにあたり、変更が認められない個所にあらかじめ対策を施す車両作りだった。
このため、市販車状態での諸性能が、他のカタログモデルと著しく異なる部分はなかったものの、改造を加えてラリーカーとした場合、ところどころの性能が容易に発揮できる内容で作られていた。もちろん、このモデルは話題となり「限定セリカ」の名で人気を集めていた。