世界ラリー選手権グループA時代の恩恵 高性能車がさらに身近に
生産車からの改造がほとんど許されないグループAの時代(日本は1985年から)を迎えると、レースて勝たなくてはならない、と使命感、宿命感に燃えたメーカーが、やはり事後に手を加えることのできない部分に大幅な対策を施したスーパー市販車をリリースした。
当時の感覚は、メーカーがよくここまで思い切って市販車を作ったものだという印象が強く、その先頭を切ったモデルがHR31型スカイラインGTS-R(1987年、800台限定)だった。
レース用の高出力化を想定した大径タービン、大型インタークーラー、スポイラー類(グループA規定は空力付加物の後付けを禁じていた)などの装備で、当時台頭中のフォードシエラRS500(これも限定車)に対抗する内容が与えられていた。
このスカイラインに対抗するためトヨタの繰り出したモデルが、スープラ3.0GTターボA(1988年、70スープラ)だった。やはり高出力化が可能になるよう大型タービンを装着したモデルで、こちらは500台限定で販売された。トヨタ系ユーザー、スープラファンには魅力のモデルだった。
一方、この時期のラリーカーは、内外ともすでにグルプAのターボ4WDが主軸となり、WRCではランチア・デルタHFが中心勢力となっていた。国内戦はグループA規定と直接関係なかったが、ターボ4WDの先駆としてマツダ・ファミリア4WDが参戦。
しかし、すぐに日産がブルーバードSSS-R(U12型)を開発して投入(1987年9月)する展開となった。ロールバーを標準装備するラリーのベースモデルで、タービンのA/R、過給圧の変更などで10psアップした185ps仕様のCA18DET-R型を搭載。クロスレシオミションを持ち、競技使用前提のモデルとして発売された。
このブルーバードSSS-Rを追いかけるかたちで三菱が新型ギャランVR-4(E38型)の装備を簡略化、軽量化(4WS)したVR-4Rをラリーのベース車両として100台限定で企画(1987年)。すぐに量産グレードのVR-4RSとして再登場(1988年)するが、後のランサーエボリューションシリーズに受け継がれる世界最強の2リッターターボと言われた4G63型(初期型は205ps)エンジンを搭載。
三菱がWRC活動に本格的に踏み出す土台となっていた。なお同車は、ラリーアートヨーロッパを介してWRCに参戦を開始していた。
そのWRCでは、基本の車両作りで他社をリードしていたランチア社のデルタHFを相手に孤軍奮闘していたのがTTEの走らせるセリカGT-FOURだった。そのセリカはマイナーチェンジの際、グループAラリーカーベースとして必要な基本構造、メカニズムを備えたGT-FOUR RC(1991年、ST185)を追加。
当時の福井敏雄TTE副社長の要請により急遽作られたモデルで、タービンやインタークーラーが標準モデルとは異なっていた。ちなみに日本名は「RC」だったが、海外名は「カルロス・サインツ・スペシャル・エディション」。1990年、日本車で初のWRCタイトルを獲得したカルロス・サインツの名前を冠した記念モデルとして、世界的に高い人気を集める車両だった。
競技参加を目的とした特別仕様車、限定車と言い替えてもよいが、これらの車両は、モータースポーツ熱が盛り上がり、性能に対して注目度が高かった1980〜1990年代の自動車ファンを熱狂させる存在だった。