「2リッター最強」を目指した2代目
2代目のMR2は1989年10月に大衆の枠を飛び越えないスポーツカーとして登場した。
コンポーネンツはカローラ/スプリンターからセリカ/コロナとひとまわり大きくなり、それにともないエンジンも2リットルの3S-G(ターボを含む、海外には入メカツインカムの3S-FEや2.2Lの5S-FEエンジン搭載車もある)に拡大されている。ただし、シリンダーブロック、シリンダーヘッドなどはセリカ用と異なり、タービンも世界初のツインエントリー・セラミックターボが採用されるなど、エンジンはMR2専用であったといえる。
スタイリングは初代同様にリトラクタブルヘッドライトを採用するが、ウエッジシェイプから丸みを帯びたラウンドシェイプに刷新され、リアガラスに曲面形状となるなど新世代に相応しいスタイリッシュなデザインとなった。ボディサイズも5ナンバーいっぱいまで拡大され、ミディアムサイズの本格的なミッドシップスポーツへと進化した。
当時は、大型のトレーラーがけん引するガラス張りのコンテナに赤の車両を積載し、全国の販売店を行脚するという前代未聞の企画が行なわれ、サーキットや加速性能で当時の2Lクラスでは飛び抜けたタイムを記録するなど華々しいデビューを果たした2代目MR2だが、ボディ剛性の不足、ブレーキや足まわりの脆弱さなど基本設計に問題を抱えていた。
そのため「速いが乗り手を選ぶピーキーなクルマ」と酷評され、モデル中盤の3型(1993年10月以降)までその対策に追われることとなる。ボディ関係のアップデートだけでなく、エンジンの強化(自然吸気165ps[1・2型]→180ps[3・4型]→200ps[5型]、ターボ225ps[1・2型]→245ps[3・4・5型])、空力性能のブラッシュアップなど地道に手を入れ続けたことで、評価は年々高まり、ミッドシップスポーツとして確固たる地位を築くことになる。ちなみにターボは5速MTのみの設定だ。
後継のMR-Sへバトンタッチ
また、モデル後半にはトヨタテクノクラフトが手掛けたオープンカーの「MRスパイダー」や、GT選手権参戦車両のエアロをまとった「TRD2000GT」といった特殊車両も登場した。
モータースポーツはジムカーナのみならず、サーキットにも進出。1996年からGT選手権のGT300クラスに参戦し、1998年、1999年と連続でシリーズチャンピオンに、1997年にはサードMC8Rとしてル・マン24時間レースに出場するなど活動の幅を広げた。ただ、バブル崩壊のあおりを受けたスポーツカーの需要低下や実用性の低さなどにより、販売台数は初代と比較しても伸び悩み、1999年10月に10年間の歴史に幕を閉じた。
後継車のMR-Sは再び初代のコンセプトに立ち返り、2Lから1.8Lにダウンサイジング。1トンを切る(初期型)軽量なパーソナルオープンカーとして再出発した。国産初のシーケンシャルMTなど革新的なメカニズムを投入したMR-Sだが、スペシャリティカー市場のシュリンクと割り切りすぎたパッケージが災いして、初代MR2のようなヒットは至らず、8年間で製造中止。これ以後、トヨタのミッドシップカーは登場していない。
MR2は国産ミッドシップカーの先鞭をつけただけでなく、スポーツカー開発から縁遠かったトヨタがスポーツカー作りに本気で取り組んだ一台。そして、のちのA80スープラ、トヨタ86、LFAなどの開発の先駆けとなったクルマであることは間違いない。今なおトヨタ史のみならず、日本自動車史に輝く名車である。