レジンモデルで厳かに現れた 最後のセリカGT-FOUR
世界ラリー選手権で活躍してきた数々のクルマたち。その歴史の中でグループAという車両規則の時代は、多くの人の手に身近にある排気量2リッタークラスの最高峰性能の市販車をもたらしてくれることになった時代である。
自動車メーカーは参戦できるクルマであることを主催団体の「FIA」に認めてもらうため、ベースとなるクルマの年間市販台数は5000台以上なければならなかった。やがて規定台数は2500台以上に緩和されてはゆくが、ベース車に無いシステムなどを追加改良して戦闘力を高めた数台のワークスマシンでメーカーの威信をかけて争う、そんなことはできない、まさにベース車である市販車の高性能が問われる時代だった。
京商から限定販売が始まっているホワイトボディのレジンモデル「セリカGT FOUR(ST205)」、この現車は、その高性能ベース車が行き着いた孤高の境地そのものだった。
世界一に君臨したトヨタが世界に放ったゴージャススポーツ
トヨタが世界ラリー選手権で日本車として初めての世界タイトル、ドライバーズ・タイトル獲得をカルロス・サインツにより成し遂げた1990年、時のマシンは4WDセリカ初代のGT-FOUR(ST165)だった。それから数年、トヨタはセリカGT-FOURの素晴らしさを世界に知らしめる活躍を続けてゆく。
セリカGT- FOURの市場登場は、1986年のST165、89年のST185、そして93年のST205という変遷だが、WRC出場車としての公認を得る市販台数などのため世界ラリー選手権の実戦にはやや遅れて投入されていった。
市販車にも空冷ではなく水冷のインタークーラーを追加するカルロス・サインツ・バージョン(RS)をつぎ込むなどしてきたST185など、パワーアップの進むセリカには、性能向上の足跡がいたるところにあった。そして2代目では93年に世界選手権で日本車初のマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得、94年もタイトルを得てWRC王者に君臨し続けた。
その流れの帰結である最終的な市販高性能車がST205型セリカGT-FOURなのだ。WRC王者トヨタはガラリと様相を変えた3代目のST205に次の戦いをゆだねていったのである。