トヨタ、三菱、スバル以外にも数多くの日本メーカーが参戦
2020年10月9日、2021年度のWRC日本ラウンドが11月14日とアナウンスされ、11年ぶりの開催に向けてのカウントダウンが始まったラリー・ジャパン。ワークス参戦はトヨタのみと寂しいが、1990年代の日本車黄金期にはトヨタセリカ、スバルインプレッサWRX、ランサーエボリューションがWRCを席巻。マニファクチャラーズ制覇を目指してしのぎを削り合ったことはモータースポーツファンならば今だ記憶に新しい。
【マツダ323(ファミリア)】4WDターボ時代の先駆者。ハンドリングの高さでパワー不足をカバー
マツダがWRCに本格参入したのは1982年。前年に欧州にマツダ・ラリーチーム・ヨーロッパを設立して基盤を確立。1985年までは現在の主流であるグループAよりも改造範囲の広いトップカテゴリーのグループBにSA22C型RX-7に参戦していたが、アウディ・クアトロ(4WD)の躍進を見て、来るべき4WD時代に対応すべく、グループB時代の最終年にあえてグループA仕様の新型フルタイム4WDマシンを実戦投入。
そのクルマが日本初のフルタイム4WDマシンであるファミリア4WD DOHCターボGT-X(欧州名マツダ323 4WD)。
1989年にはベース車両のモデルチェンジにともない、排気量を1.8Lまで拡大し、275馬力(市販車は180馬力)までパフ―マンスを高めたが、2Lエンジンを搭載するライバルの熟成と200ccのビハインドはいかんともしがたく、成績は低迷。ターボとインタークーラーを拡大したエボリューションモデルのファミリアGT-Rをベースにした新型マシンを1993年シーズンに投入する予定であったが、バブル崩壊による資金難のためWRCからの撤退を決断! GT-RベースのグループA車両は悲運のマシンとなった。
【スズキ・イグニス(スイフト)/SX4】WRC育成カテゴリー「JWRC」の常勝マシンとして長年活躍!
WRC初参戦は1986年と歴史のあるスズキ。長年、東南アジア、オセアニアを中心に転戦するWRCの地域ラリー選手権であるAPRC(アジア・パシフィック・ラリー選手権)で活動していたが、2002年に設定されたWRC育成クラスであるJWRC(当初は1.6L以下の自然吸気エンジンのFF車での競技)にイグニス(初代スイフト)を投入し、WRCに本格参入を果たす。
開発を請け負ったのはスズキスポーツ。スズキスポーツはスズキの子会社ではなく、パイクスピークで有名なモンスター田嶋こと田嶋伸博(たじまのぶひろ)さんが代表を務めるモンスターインターナショナル(現・タジマコーポレーション)のグループ会社。
2007年に、2代目イグニス(2代目スイフト)による2度目のシリーズチャンピオンを獲得したスズキは2008年からトップカテゴリーであるWRCへSX4をベースとしたワールドラリーカーで挑戦を開始! 1年目を最高位5位、シリーズ5位で終えた。
【ダイハツ・シャレード】サファリ・ラリーで格上マシンを打ち負かし続けた「小さな巨人」
1979年、初代シャレードによるモンテカルロ・ラリー参戦により国際ラリー活動を開始したダイハツ。WRCにフル参戦することはなかったが、1984年から1993年までWRCで最も過酷な大会と呼ばれるサファリ・ラリーに参戦し続けた。ラリー組織はDCCS(ダイハツ・カー・クラブ・スポーツ)が担当していた。
当初はダイハツのなかで高性能な2代目シャレードをベースにグループAラリーカーを製造したが、1Lターボはレギュレーションの排気量換算係数を加えると、1.6Lクラスで戦わなくてはならず、戦闘力不足は明白であったため、1つ下の1.3Lクラスに収めるために排気量を926㏄までダウンした「926ターボ」を発売。グループAの場合はホモロゲーション取得のためには年間5000台の生産が必要だったため、926ターボ登場と同時に、200台の生産で取得が可能なグループBへと参戦カテゴリーをスイッチしている。
見た目はノーマルと変わらず、スペックも抑えられていたが、ピストン、カムシャフト、バルブタイミングなどを変更し、点火系を強化するなど手が加えられていた。
1988年からは3代目シャレードにバトンタッチ。最強のGT-Ti(のちにGT-XX)は1Lの排気量はそのままにリッターあたり100馬力を超える新設計のDOHCターボを搭載し、ポテンシャルをさらに向上。クラス優勝の常連として名を連ねた。
【日産・パルサーGTi-R】持てる技術をフル投入! WRC制覇のためのウェポン〜
1970年代は510型ブルーバードやS30型フェアレディZが躍動、1970年代後半からはバイオレットがサファリ・ラリーで4連勝を飾るなど、輝かしい成績を収めてきた日産。WRCへの参戦は1978年からで最高位はシリーズ2位。
1983年にはグループBカテゴリーにS110型シルビアベースの240RSを投入するなど、積極的に挑戦を続けたが、1987年からグループAカテゴリーに変わってからは主流となった4WDモデルの投入が遅れ、勝負権を失った。
そんな日産がWRC制覇のために満を持して1991年にデビューさせたのが、パルサーGTi-Rだ。のちにWRCの勝利の方程式といえるコンパクトなボディに2Lターボ∔4WDシステムを押し込むパッケージをいち早く採用した。
エンジンはシルビアでもおなじみのSR20DETをベースに、クーリングチャンネルピストン、排気バルブにナトリウム封入バルブ、多連スロットル、大型タービンなどBNR32で培ったノウハウをフル投入。
原因は車体が小さすぎたこと。前後重量配分が約70:30とかなりのフロントヘビーでバランスが悪く、アンダーステアを誘発。さらに195/55R14という細いタイヤを標準としたため、十分なグリップ力を得られず、キャパシティが不足した。また、小さなエンジンルームに大きなエンジンを詰め込んだことで、クーリング性能も不十分だった。