EVを最初に量産市販にこぎつけたのは日本の自動車メーカー
話を89年に戻す。
トヨタ・セルシオの誕生は、メルセデス・ベンツと競合する高級車が日本に誕生したとして忘れがたい出来事であった。しかも、GT-Rを復活させた日産からも、インフィニティQ45と名付けられた高級車が同じ年に発売開始されたのだ。超高性能車と高級車と、もはや日本の自動車業界も、ついに欧米に肩を並べたと、感極まる思いにさせられた。
またマツダからロードスターが誕生したのも、89年のことである。
欧州で栄えたオープンのライトウェイトスポーツカーという世界が一時途絶えたあと、日本から復活し、欧米で称賛されたことに誇りを覚えたものである。ロードスターの世界的人気を背景に、本場の英国から「MG F」というライトウェイトオープンカーが誕生することにもつながった。
しかし90年にはバブル経済が崩壊し、低成長時代に日本は入った。それが、今日まで続く。
世界的には気候変動への対応が求められ、燃費の向上や二酸化炭素(CO2)排出量の削減が、すべての自動車メーカーに重くのしかかった。やや遡るが、1970年代の排出ガス浄化対応で、ホンダが世界初の規制達成をCVCC(複合渦流調整燃焼方式)で実現し、世界を驚かせた。
そして今度は、トヨタが世界初のハイブリッド車「プリウス」の量産市販で注目を集めたのであった。ガソリンエンジン車の2倍の燃費性能というその技術は、欧米自動車メーカーも真似のできない内容だった。それは今日でも変わらず、ディーゼルターボエンジンでさえ不可能だ。
さらに2009年には、三菱自動車工業が量産の電気自動車(EV)i-MiEVを市販し、翌10年には日産・リーフが誕生する。そしてリーフは、現在世界累計50万台の実績を残した。今日では、米国のテスラがEV販売の先頭を走るが、最初に量産市販にこぎつけたのは日本の自動車メーカーであったのだ。
平成の時代は、バブル経済の恩恵と後始末のなかから、日本が自動車先進国の欧米と肩を並べ、あるいは時代の先駆者として未来を切り開くクルマを生み出した時代であった。将来歴史を振り返ったとき、自動車産業界の節目となる平成のクルマについて触れないわけにはいかないだろう。