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日本車史上最大の当たり年! 驚くほどの名車がデビューした1989年の奇跡

平成元年は国産車の「ヴィンテージイヤー」と言われた

 平成元年は、西暦1989年である。国内はバブル経済の絶頂期でもあり、驚くべき新車が次々に登場した。

 まず、待ちに待った日産スカイラインGT-Rの復活だ。1973年に当時の4代目スカイライン、通称「ケンメリ」スカイラインのハードトップにGT-Rが設定されたが、70年代の排出ガス規制への対応で永い間GT-Rの歴史は途切れた。それから26年ぶりの登場となったのだ。

 実は81年の6代目スカイラインのとき、GT-Rが復活するのではないかとの噂が広がった。結果は「RS」と呼ばれる車種の追加であった。RSに搭載されたエンジンは直列4気筒DOHCの高性能仕様だが、直列6気筒でなかったことで、GT-Rの復活とはならなかった。

 だが排出ガス規制対応がひと段落し、高性能エンジン開発に日産が動き出したことが明らかになった。そこからターボエンジン、インタークーラー付きターボエンジンと、3年の間に次々とより高性能な仕様が追加されたのであった。

 そうした事前の盛り上がりを受けて、89年にいよいよGT-Rが復活を遂げたのである。R32型と呼ばれたそれは、時代の最先端技術として前後に駆動力配分を行う4輪駆動と、高速域での安定走行を踏まえた後輪操舵を採用してきた。

 280馬力の直列6気筒ツインターボエンジンだけでなく、技術の日産を象徴するような先進技術に興奮せずにいられるか? ・・・…当時の高鳴る動悸は、いまなお忘れがたい思い出である。

 翌1990年になると、ホンダからNSXが登場した。本格的ミッドシップスポーツカーであり、日本車に、いよいよフェラーリと競合するといえるようなスポーツカーが誕生したのだ。

 V型6気筒の自然吸気エンジンを運転席の真後ろに搭載し、車体はアルミ合金製である。アルミ車体は、フェラーリでもやっていないことだった。

 いくらバブル経済期とはいえGT-RとNSXと、日本人として贅沢な高性能車選びができる時代に生きたことを神に感謝したい気持ちにさせられた。

EVを最初に量産市販にこぎつけたのは日本の自動車メーカー

 話を89年に戻す。

 トヨタ・セルシオの誕生は、メルセデス・ベンツと競合する高級車が日本に誕生したとして忘れがたい出来事であった。しかも、GT-Rを復活させた日産からも、インフィニティQ45と名付けられた高級車が同じ年に発売開始されたのだ。超高性能車と高級車と、もはや日本の自動車業界も、ついに欧米に肩を並べたと、感極まる思いにさせられた。

 またマツダからロードスターが誕生したのも、89年のことである。

 欧州で栄えたオープンのライトウェイトスポーツカーという世界が一時途絶えたあと、日本から復活し、欧米で称賛されたことに誇りを覚えたものである。ロードスターの世界的人気を背景に、本場の英国から「MG F」というライトウェイトオープンカーが誕生することにもつながった。

 しかし90年にはバブル経済が崩壊し、低成長時代に日本は入った。それが、今日まで続く。

 世界的には気候変動への対応が求められ、燃費の向上や二酸化炭素(CO2)排出量の削減が、すべての自動車メーカーに重くのしかかった。やや遡るが、1970年代の排出ガス浄化対応で、ホンダが世界初の規制達成をCVCC(複合渦流調整燃焼方式)で実現し、世界を驚かせた。

 そして今度は、トヨタが世界初のハイブリッド車「プリウス」の量産市販で注目を集めたのであった。ガソリンエンジン車の2倍の燃費性能というその技術は、欧米自動車メーカーも真似のできない内容だった。それは今日でも変わらず、ディーゼルターボエンジンでさえ不可能だ。

 さらに2009年には、三菱自動車工業が量産の電気自動車(EV)i-MiEVを市販し、翌10年には日産・リーフが誕生する。そしてリーフは、現在世界累計50万台の実績を残した。今日では、米国のテスラがEV販売の先頭を走るが、最初に量産市販にこぎつけたのは日本の自動車メーカーであったのだ。

 平成の時代は、バブル経済の恩恵と後始末のなかから、日本が自動車先進国の欧米と肩を並べ、あるいは時代の先駆者として未来を切り開くクルマを生み出した時代であった。将来歴史を振り返ったとき、自動車産業界の節目となる平成のクルマについて触れないわけにはいかないだろう。

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