アルミホイールは特別な存在だった!
アルミホイール(“合金”の意味からコダワリ派は“アロイホイール”とも言う)というと、今や軽自動車でも標準装着が当たり前……そんな時代。ところが昔は、スポーティカーでもアルミホイールは特別な存在だった。
参考までに手元にある国産車のカタログで確認してみると、あの元祖スペシャリティカー、セリカでさえ、初代にはまったく用意はなく、2代目(風のセリカ)のカタログの装備一覧に▲(オプション)として記載されるようになり、3代目(ロータスとコラボした2代目XXと同時に登場した4気筒シリーズ)のGTでやっと標準装着車が登場……といった具合だった。
ちなみに調べてみると初代セリカの頃は全車スチールホイールが標準装着で、タイヤサイズ以外の意匠の差別化として、“GTホイール”と呼ぶホイールリング付きのタイプや、センターキャップ(中央の穴にはめ込むタイプ)、ホイールキャップ(ナット部分までを覆うタイプ)のほか、昔よく道端に転がって落ちていた、いわゆるフルホイールカバーまであった。
で、そんな時代のカーマニア、クルマ好きはどうしていたかというと、中古車にしろ新車にしろ、自分のクルマを手に入れたなら、まず足元をアルミホイールに替えるのが“通の証”。理由は、アルミホイールは鉄ホイールに対して同サイズ同士であればバネ下重量が軽減でき、走りや乗り心地が改善できたため。
が、それ以上に見た目の差別化、個性化が図れることも大事な理由のひとつだった。とくにコダワリ派は(そういうややこしいのがコダワリ派たる所以だが)、たとえメーカー純正のアルミホイール付きだったとしても、それに飽き足らず、自分で選んだアルミホイールにわざわざ付け替えたりしたもの。
また当時のクルマ、とくに国産車はもともとのトレッドが狭いクルマが多く、標準サイズのホイールではどうしても佇まいが貧弱に見えた。そこでリム幅の広いアルミホイールに替え、タイヤも標準サイズよりワイドにし、時に見た目重視ではあったがクルマのシルエットを変えてクルマをかっこよく見せたりしたものだ。
何を隠そう筆者も、今でこそ達観でき(!)自分のクルマの冬タイヤはスチールホイールで通しているほどだが、若かりし頃は、どのアルミホイールを選ぶか? に人一倍情熱を注いだ(笑)。免許証を取って最初の自分のクルマはいすゞ・117クーペだったが「クロモドラAタイプ」と「カンパニョーロ・エレクトロン101」のどちらにするか散々悩み抜き、結局、当時のフェラーリのイメージに憧れて星形のクロモドラのほうを選んだ(マセラティのイメージでカンパにすればよかった……と後から思ったりもした)。
カタログを取り寄せたりカー雑誌の広告からホイール部分を切り抜いて自分のクルマの写真に重ねて検討したり、夜な夜なファミレスに友達と集まっては、あーだこーだと論議したり。何でもそうだが、何かを買おうとした時には、買う前からそうやってあれこれ考えて盛り上がる時が1番楽しいもの、である。
憧れのアルミホイールを装着した時の嬉しさはひとしおだった
筆者のまわりには当然クルマ好きが多かったが、アルミホイールでは国産派か輸入ブランド派かに別れていた。国産派から挙がるのは、RSワタナベの8本スポークやエンケイ(メッシュ、バハほか)、レースで有名になったハヤシレーシング、ボルクレーシング、フォートランや、アルメックス、ゾナといった当時タイヤメーカーから発売されていたブランドなどが多かった。
一方の輸入ブランド派というと、某CG誌や某スクラン誌を創刊号から毎月欠かさず読んでいたようなタイプだったから、カンパニョーロ、クロモドラ、FPSといったブランドを筆頭に、BMW・E20に乗っているようなドイツ車贔屓だとATS、BBSなど。ジャガーの友人はいなかったからワイヤーホイールのボラーニ(1台分で50~60万円した)は見かけなかったが、旧いミニにミニライトを「これ以外はない!」と付けていた友人もいた。
以上は今からざっと40年以上前、70年代後半~80年代初頭の話。現在のようにネットで見つけてポチッとすれば欲しいものがスグに手に入る時代ではなかった。が、それだけにカタログや雑誌の写真で見て決めて、手に入ったアルミホイールを晴れて自分のクルマに装着した時の嬉しさはひとしおだった。
筆者もクロモドラを履いた自分のクルマの姿を被写体に、キヤノンF-1モータードライブ付きに135mmレンズをつけて、箱根やさまざまな場所に出かけては写真に収めたものである。