もはやコンパクトカーと呼べない⁉ デカくなりすぎた10代目シビック
ホンダで最も歴史のあるコンパクトカーであるシビック。現行型で10代目となるが、主要マーケットであるアメリカでは未だ人気&販売台数を含めて高い評価を得ており、ドイツのニュルブルクリンク・オールドコースでFF車市販車最速タイムを叩き出すなど、その名を世界に轟かせている。
一方、生まれ故郷の日本ではスタンダードな小型セダンやクーペなどの人気は芳しくなく、高性能車であるタイプRのみが売れる偏った状況が続いている。また、デビュー当時は欧州Cセグメントのカテゴリーであったが8代目以降、ボディは拡大の一途をたどり、いまやDセグメントに迫るサイズ。もはやコンパクトカーとは呼べない。
鈴鹿サーキットで開催されたシビックレースでスポーツイメージが定着!
日本ではタイプR=シビックというイメージが定着し、中古車市場でも高い人気を誇っているが、カスタマイズマーケットで盛り上がっているのは最新のFK型ではなく、1980年代後半から2000年前半までに登場した4代目のEF型、5代目のEG型、6代目のEK型。この時期は国内におけるシビックの黄金期と呼ばれるが、最も新しいEK型でも製造中止から20年経過し、今やネオヒストリックカーの領域。なぜ、ちょい古な4代目〜6代目のシビックが今なおカスタマイズシーンで現役なのだろうか。
低公害エンジンであるCVCCを搭載した環境性能対応車として登場した初代シビックだが、1974年に登場した「RS」の追加により、スポーツモデルとしてのイメージを確立していく。そしてシビックのスポーツ色を定着させたのは2代目シビックから始まったシビックワンメイクレース。モータースポーツの活性化と参加機会の拡大を目指して始まったこのレースは鈴鹿サーキットを舞台に開催される。その後東日本、西日本シリーズも始まるが、最も盛り上がったのは鈴鹿シリーズで、シビックは関西で独自の文化を築いていくことになる。
格上のスポーツモデルを食らうEF型登場が関西で「環状族」なる現象を生む
その人気を決定づけたのは3代目で、DOHCを搭載したSiは鈴鹿のワンメイクレースはもちろん、当時の国内最高峰レースであるグループAで、最も排気量の小さい「ディビジョン3」ながら、ときに格上のクラスを食らう下剋上を可能とするポテンシャルの高さで、若者を魅了。
当時シビックワンメイクレースで放出されたレース車両を購入し、阪神高速1号線(通称:環状線)に持ち込み、レースまがいの行為を開始。徐々にその規模が膨れ上がり、VTECエンジンを搭載したEF型の登場で、さらにその人気は加速。「環状族」と呼ばれた走り屋のなかでシビックはステータスとなった。
1990年ごろは東京の首都高速でも「ローリング族」と呼ばれる走り屋が登場したが、主な車両はスカイラインやRX-7、スープラ、フェアレディZといった大排気量車が中心で、シビックは少数派。なぜ大阪のシビックがもてはやされたというと、環状線のレイアウトにある。複合的な合流が多い環状線は首都高速に比べて速度レンジが低く、しかも、複数のクルマが走る中を速く走るためには「すり抜け」が有効。シビックのVTECによる瞬発力と5ナンバーボディが威力を発揮し、レース同様に上級モデルに太刀打ちできたのだ。1990年以降は警察の取り締まりが強化され、環状族は徐々に衰退していったが、関西ではその文化が今なお根強く残り、全国的に見てもホンダ車専門店も多い。
EG/EK型はアメリカで生まれた「USDMが」火付け役。スクリーン登場で開花!
環状族の衰退と入れ替わるように、盛り上がり始めたのがアメリカで販売されているアフターマーケットパーツでカスタマイズを行うUSDM(ユナイテッド・ステイツ・ドメスティック・マーケットの略)。その中心車種はアメリカでポピュラーかつ若者から支持されたのがスポーティでクールなホンダ車。当時はスポーツコンパクト(スポコン)がブームで、アキュラRSX(インテグラ)とともに愛用されたのがEG型、EK型シビックだったのだ。
そして、映画「ワイルドスピード」を通じて、スポコンカスタムが日本に持ち込まれ、広がっていくこととなる。その第1作では多くのホンダ車がスクリーンを飾ったことで、日本のスポコンブームもホンダ車がけん引していくことになった。
スポコンは当時のテイストは残すものの、年数の経過とともにアメリカで販売されているパーツを使うのではなく、ドリフトなど日本独自のテイストを盛り込んだJDM(ジャパン・ドメスティック・マーケット)スタイルに進化。配線を隠すワイヤータックやサービスホールや配線取り付け穴を埋めるシェイブドベイといった新しいエンジンルームのドレスアップなども北米ではシビックを中心に広がりを見せるなど、カスタマイズシーンにおいてシビックは今なお中心的存在なのだ。
環状スタイルとUSDM/JDM融合でシビック文化はさらなる広がりを見せる
ちなみに、7代目以降のシビックをベースとしたカスタマイズは少数派。7代目以降はスポーツイメージが薄く、大型化されたボディはスポコンとは呼べないことが原因ではないだろうか。
現在では環状族スタイルとUSDM/JDMが融合したマシンメイクも生まれ、シビックのカスタマイズ文化はさらに広がりを見せている。古さを感じないのは今なお新しいパーツがリリースされ、ベース車として鮮度を失っていないためだ。20~30代のオーナーも増えつつあり、裾野は広がりを見せるEF/EG/EKシビックカスタマイズはひとつの文化として根付いていくことだろう!