乗員一人ひとりに専用のドアを
4年連続して自動車販売台数日本一(軽自動車部門では6年連続!)に輝いたホンダN-BOXを筆頭に、軽のハイトワゴンが人気を呼んでいます。その大きな特徴は、背の高い5ドアハッチバックというパッケージングにありますが、そのハイトワゴン以外の軽自動車でも、現在では5ドアハッチバックが圧倒的多数を占めています。しかし軽自動車は登場した初期には小型でしたのでドアの数も2ドアが主流でした。ここに4ドアを持ち込むことには、やはりマイカーにとって大きな意義があったのです。
軽自動車初の4ドアをリリース
歴史を振り返ってみると軽自動車は、1949年(昭和24年)に改訂された運輸省令に初めてその名称が記され、51年には先駆けとされるオートサンダルが登場。55年には鈴木自動車工業(現スズキ)のスズライト・セダン、58年には富士重工業(現SUBARU)のスバル360がデビューしていますが、これらはすべて2ドアでした。
2座オープンのオートサンダルはともかく、4人乗りのスズライト・セダンやスバル360が2ドアだったのは、軽量化やボディ剛性の確保、そしてもちろん製作コストなど様々な理由が考えられますが、ユーザーにとっては家族で出かけるときなど、フロントシートの背もたれを前に倒して乗り込むリアシートへのアクセシビリティは大変だったろうと思われます。
そんな軽自動車で初めて4ドアを採用したのが61年に登場した東洋工業(現マツダ)のキャロルでした。普通乗用車と同様に4枚のドアを持つということは、4人乗りの軽自動車においても乗員全てに専用のドアがある!ということであり、4ドアセダンが高級なクルマに映ったことは間違いありません。
機能優先のR360クーペは2+2で苦戦
マツダは、前身の東洋工業だった1960年(昭和35年)にR360クーペで軽乗用車市場に参入しています。ミゼットを生産販売していたダイハツとともに、K360で軽三輪トラックの大手だった東洋工業は、軽乗用車市場では後発メーカーとなりました。
ですが、先行するライバルが、2ドアながら4人乗車を前提に、小型乗用車のサイズダウンを狙っていたのに対して、法規上は4人乗りながら2+2と割り切ったR360クーペを開発して市場に乗り込んでいます。パッケージは割り切っていたR360クーペでしたが、K360と基本レイアウトが同じ強制空冷V型プッシュロッド2気筒(軽乗用車では初となる4ストローク)エンジンはアルミニウムを主体に構成され、一部にマグネシウム合金が採用されるなど、軽量化が徹底され、また4輪独立懸架やオプションとして軽自動車初のトルクコンバーター式オートマチック・トランスミッションを用意するなど、メカニズム的には様々な新技術が盛り込まれていました。
さらにR360クーペが特徴的だったのは、販売価格が30万円(東京地区標準現金価格)とライバルに比べて劇的に廉価な設定であったことです。何せ当時王座に君臨していたスバル360が42万5000円(発売当初の東京地区標準現金価格)だったのですから3割近くも安かったのです。そのことからR360クーペは登場直後から爆発的なヒットとなりました。がしかし、2ドアであっても4人乗りであるライバルたち(軽自動車規格に縛られ満足できるスペースではなかったのですが)には太刀打ちできずに、2年後には後継に主力の座を譲ることになってしまいます。