いまこそ復活してほしい傑作ステーションワゴン
今では影の薄くなってしまった日本のステーションワゴンだが、かつてはラインアップも豊富で人気ジャンルのひとつだった。その立役者となったクルマが、スバルのレガシィとホンダのアコードワゴンだ。
とくにアコードワゴンの1代目(1991-1994年)、2代目(1994-1997年)の両モデルは「USアコードワゴン」と呼ばれた、ホンダ・オブ・アメリカで企画、開発、生産されたモデルであり、Bピラーより前は当時のアコードセダンと共通、その後ろがワゴン専用ボディで、傾斜の強いテールゲートのデザインもあって「スタイリッシュなワゴン」、しかもアメリカ製ということで、一躍人気を博したのである。今回はそんなアコードワゴンの変遷を振り返ってみたいと思う。
1代目(CB9)&2代目(CE1/CF2)
1代目と2代目のエクステリアは、特にCピラーに張りつけられた鷲のマークの「HONDA OF AMERICA」のエンブレムがカッコよく、この部分は記憶に残っている人も多いかもしれない。またホンダ純正のホンダアクセスから発売されたアクセサリー、エアロパーツ、車外品のドレスアップパーツが大量に市場に出回り、ローダウン仕様を中心にドレスアップワゴンとしての地位を確立した一台でもあった。
じつはこのボクも2.2Lエンジン搭載の2代目USアコードワゴンを、ゴールデンレトリーバーの愛犬を乗せるのにも都合が良く、なんと2台続けて(ダークグリーンとダークレッド)、メルセデス・ベンツEクラス(セダン)のセカンドカーとして愛車にしていた。もちろん内外装ともにホンダ・アクセスのアクセサリーでドレスアップ。お気に入りだったのは、室内全体におよぶピアノブラックのウッド調パネルで、一段と高級感と精悍さあるインテリアに仕上がっていた。
デザインはもちろん、走行性能も当時のステーションワゴンとして文句なしのレベルにあった。というのも、自動車評論家という職業柄、USアコードワゴンが発売されたタイミングでいち早く試乗し、試乗記を書いたのだが、試乗を終えたあと、すぐに購入を決めたぐらいなのである。それもそのはず、2代目アコードワゴンは北米だけでなく欧州でも販売され、ハイスペックな「SiR」というグレードも設定されるなど、走りにもこだわりまくった世界戦略ワゴンだったのだ。
しかも2代続けて乗ったUSアコードワゴンは、数年乗ったあとの下取り価格も良く、その勢いで2代目オデッセイ(アブソルート3L V6)に買い替えたのだ。つい先日、25年ぐらい前のUSアコードワゴンを街で見かけたが、やはりドレスアップされたクルマで、今見てもなかなかカッコイイぜ、と思わせてくれたものだ。2代目が人気だった当時は、バブルの崩壊後のタイミングではあったものの、逆輸入車として比較的廉価な価格も人気の要因だったように思う。