まさにグループAレースのために作られた車両だった
グループA規定は、これへの対応策として事後の改造、チューニングを大幅に制限し、生産車両の基本構造、基本メカニズムで戦うカテゴリーとすれば、参戦門戸を幅広く構えられ、多くのメーカーが参画することでレースの隆盛化が図られると考えた結果である。
実際、この考え方は正解かと思われたが、レース向きでない車両を生産するメーカーへの救済策として用意された使用パーツの追加公認申請制度が逆手にとられ、より多くの競技用パーツの申請を行ったメーカーの車両が戦闘力を上げる結果となつていた。ボルボ240T、ジャガーXJ-S、ローバー・ビテスといった車両が主導権を握る流れとなったのは、このためである。
こうしたなかで、創業以来ツーリングカーレースを自社の身上としてきたBMWは、当時、世界最高位と目されていたヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に継続して参戦。グループA規定が適用された1982年以降も528iや635CSi、325iで活動を続けていたが、レースを有利に戦うためホモロゲーションシート(パーツの追加公認申請書)を山と積み上げる戦略で臨むボルボやジャガーに対し、同じ手法で相手をするにはどうにも非合理的と判断。
生産車の状態で、レースに対応できるメカニズムや構造を備えた車両を準備すれば、手間のかかるパーツの追加公認申請の手間は不要で、なおかつ想定した戦闘力の車両で戦えることから、グループAレースに対応した車両を開発、これの市販に踏み切った。
その車両が、初代BMW M3(E30)だった。車体構造をレース使用に耐える剛性、強度で仕上げ、エンジンはレース使用を見越したものを搭載。後付けが一切禁止された空力パーツも、量産車の段階からレースで使えるものを設計して装着。手間、コストはかかるが最初からグループAに対応した車両を生産すれば、レースに投入した場合、圧倒的優位に立てることは間違いない。M3は、まさにグループAレースのために作られた車両だった。
E30型M3の優れた着眼点は、最大排気量クラスとなる2500cc以上を選ばず、グループA2クラス、すなわち1600~2500ccの中間クラスで車両を選定したことにあった。グループA戦は、個別レースに総合優勝制を採らず、クラス制が採られていたからだ。こうした意味で、コンパクトでハンドリングに優れた3シリーズのレースカーは、有力チューナーのリンダーが325iを走らせていたが、この車両は6気筒エンジン搭載車で、レースカーとして必ずしも最高の条件を備える車両ではなかった。