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4WDの先駆者アウディが威信をかけて開発した幻のWRカー「アウディ スポーツクワトロ RS002」

SUBARUが先鞭をつけた4WDを必須アイテムに引き上げたアウディ

 この秋ひさびさに、日本ラウンドとなるラリー・ジャパン2021が復活することで、再び人気が上昇する気配を見せている世界ラリー選手権(WRC)。近年は、WR(ワールド・ラリー)カーと呼ばれるカテゴリーの競技車両がその最高峰に位置していますが、メカニズム的に4輪駆動(4WD)を取り入れることは世界一になるためには必須となっています。ラリー競技車にこの4WDシステムの必要性を決定的に知らしめたのは1980年代のアウディでした。

 そのアウディが、過激化してきたWRCのグループB末期、次なる時代の最終ウエポンとして4WDの威厳を示すべく開発していたマシンがあります。それが幻のグループS車両「アウディスポーツクワトロ RS002」。ここではそこに至るまでのアウディを振り返ってみましょう。

ラフロード先駆車レオーネから氷結ウエットターマックを牛耳るクワトロへ

 4WDマシンの流れが出てきたのは1980年代のこと。当時のWRCで主役を務めていたのはグループBカーでしたが、このころから4WDが見逃すことのできない技術トレンドとなっていきました。その4WDを最初にWRCに持ち込んだのはSUBARU(当時は富士重工業)でした。1980年のサファリ・ラリーがその舞台でしたが、レオーネ・スイングバックのグループ1仕様で、エンジン排気量も1.6ℓと小排気量にもかかわらずグループ優勝に輝き、総合でも18位につける快挙を成し遂げ、ここからSUBARUのWRCチャレンジがヒートアップしていきます。

 ただし、4WDを一気にメジャーな存在にしたのはアウディ・クワトロでした。市販モデルが80年のジュネーブ・ショーでお披露目された後にグループ4仕様の競技車両の製作が進み、81年のWRC開幕戦となったモンテカルロ・ラリーでデビューを果たしています。

 このシーズン、アウディのワークスチームであるアウディ・シュポルトからはエースのハヌー・ミッコラと女性ドライバーのミッシェル・ムートンが参戦していましたが、デビュー戦ではミッコラが、ライバルを圧倒する速さを見せつけます。

 結果こそリタイアに終わったものの、それまでは2位以下を大きく引き離してトップを独走して見せたのです。そして続く第2戦のスウェディッシュ・ラリーではミッコラのドライブであっさりと初優勝を飾っています。

 このスウェディッシュは雪路を駆け抜けるラリーとして知られていて、当然のように4WDのアドバンテージが予想されていましたが、それ以降もアウディ・クワトロの速さは衰えることもなく、シーズン終盤、グラベルとターマックが混在するミックスラリーとして知られるサンレモ・ラリーではムートンが優勝。ちなみにこれは、女性ドライバーとして初めてWRCを制する快挙でした。

 そして最終戦のRACではミッコラがシーズン2勝目を挙げ、シリーズランキング(ドライバーズポイント)で3位にポジションアップしてシーズンを終えることになりました。

82年アウディ圧勝でマニュファクチャラーチャンピオン

 翌82年シーズンはアウディの、そして4WDのアドバンテージが大きくクローズアップされることになりました。ドライバーのラインナップにスティグ・ブロンクビストが加わったこともあってアウディは全12戦中半数以上の7勝をマーク。ムートンが3勝を挙げ、ミッコラとブロンクビストが2勝ずつ、と星を分け合ったことでドライバーランキングでは2~4位に留まりオペルのロールにタイトルを譲ったものの、マニュファクチャラータイトルを獲得。

 4WD車両として初のチャンピオンマシンに輝いています。翌83年はミッコラがドライバーズチャンピオンに輝いたものの、前年チャンピオンのロールが移籍し、マルク・アレンとのツートップ体制で臨んだランチアにマニュファクチャラーのタイトルを奪われてしまいます。このランチアが強敵でした。

 81年シーズンにオリジナルのアウディ・クワトロがデビューして以来、クワトロA2、スポーツ・クワトロと着実に進化を遂げていたクワトロでしたが、4WDのアドバンテージはあったものの、フロントヘビーなパッケージングからハンドリングには難を抱えていて、ミッドシップの後輪駆動であるランチア・ラリー037に後れを取ってしまったのです。

 さらにアウディの4WDとランチアのミッドシップという、両車の“良いとこ取り”をしたプジョー206T16が登場するに至っては、フロントエンジンのクワトロでは対抗し得ませんでした。

期待のミッドシップ対抗モデルは700馬力だったが…

 そこでアウディは、グループBをより先鋭化させたグループS車両を開発するプロジェクトを立ち上げました。プロトタイプとしてアウディ・クワトロをベースにエンジンをボディ後半部に載せた“ミッド・エンジン・クワトロ”も施策されていましたが、本命として完成したモデルがスポーツ・クワトロRS002でした。

 その風貌は、ラリーカーというよりもコンパクトなレーシングマシンに似たもので、リアの巨大なウィングが目立っていました。コクピットの後部に、アウディの得意としてきた直列5気筒エンジンを縦置きに搭載、パワーを前後に配分して4輪を駆動するというレイアウトとなっていました。

 ターボ・チューンを施されたエンジンは700馬力を絞り出しており、約1tの車両重量に対しては十分なパフォーマンスが期待されていました。ただし、グループSのプロジェクトの前提となっていたグループBでのアクシデントが続出したことでグループBとグループSは、カテゴリーそのものが姿を消すことになり、この究極のラリーマシンが実戦で鎬を削ることは敵わなくなってしまいました。

 もちろん安全は尊重されるべきですが、この究極のマシンが戦う様を見たかった、というファンも少なくなかったと思われます。ちなみに、僅かに1台のみが製作されたRS002は、インゴルシュタットのアウディ本社に併設されたAudi Museum Mobile(アウディ自動車博物館)に収蔵され、企画展などで展示されているようですが、何度か訪れた際には展示されてなく、出会いは果たせていません。

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