自動車生産100万台目のマツダ車もキャロルだった
自動車メーカーにとっての勲章というか、マイルストーンとなるのが、生産台数の「キリ番」だろう。「1000万台生産達成!」などというまさに節目がそれなのだが、同時に2020年で創立100周年を迎えたマツダ。さらにそのマツダが自動車生産100万台達成したのは金色のキャロル600で、1963年のこととなる。
50万台達成までになんと24年9カ月かかったのに対して、そこから100万台までは2年2カ月という急成長ぶりで、総合自動車メーカーとしてさらなる発展を、と怪気炎を上げている。ただ、自動車といってもマツダの場合は戦前から3輪トラックに力を入れていて、約63パーセントを占めている。
軽規格のキャロル360に先駆けてキャロル600が登場
達成車であるキャロル600とはどんなクルマか? 古いクルマに興味がある方なら、1962年登場のキャロル360は聞いたことがあるだろうが、600はそれのエンジンの排気量を拡大したものだ。ただ、キャロル自体の生い立ちを見ると、スバル360のように、360ccがあってその後に600ccが追加されたように思えるが、じつは逆だ。
もともとはショーモデルでマツダ700があって、それを360ccにして車名もキャロルとして市販化された。そのあと、約半年後に本来のマツダ700に排気量に近い、600ccが登場した。
もともと、マツダとしては小型車のマツダ700を出すつもりだった。その背景には当時の通産省による自動車メーカーの合併推進があり、それに対抗するためにメーカーとしての体力をつける必要があったのだが、結局、4輪ではR360クーペを出しただけということで、小型車への進出は時期尚早という判断があった。
2年で姿を消したが、マツダの小型車として十分に意義があった
いずれにしても軽自動車のまま600cc、つまり小型車にしたため、狭かったりして人気は出ず、2年ほどで姿を消してしまった。ただ、当時はどのメーカーも360ccの軽の上級車種として小型車を据えることを狙っていて、1960年代は模索していた時代。
キャロル600もその流れの中で考えると、マツダの小型車として十分に意義はあり、1963年登場のファミリア誕生(最初にバンで1年後にセダン)の布石になったと言っていい。エンジンはキャロルのものを800ccに拡大したものを積んでいた。