操作性に秀でたウエイトバランス もうひとつのミッドシップへ
そんなアウディ・クワトロの前に立ちはだかったライバルがランチア・ラリー037でした。流麗なデザインで知られるランチア・ベータ・モンテカルロをベースにシャシー設計をジャン-パオロ・ダラーラが、エンジン開発をアバルトが担当。オール・イタリアで仕上げた渾身のモデルでした。
デビューしたのは82年シーズンでしたが参戦2年目となった83年シーズンに猛威を振るうようになりました。アウディ・クワトロの武器が4WDであったのに対し、ランチャ・ラリー037の武器はミッドシップの後輪駆動というパッケージが生み出すドライバビリティ。実は、それ以前に参戦していたストラトスでも同様のパッケージを採用していましたが、その長所はそのままにストラトスでの過敏すぎたドライバビリティを修正したものでした。
ランチアにとっては、4WDのアウディが得意とするステージでは何とかこれに食らいつき、ラリー037が得意なターマックの総てに勝利してシリーズを制する作戦でした。実際、ヴァルター・ロールとマルク・アレンのツートップで挑んだ83年のWRCでは10戦で5勝をマークしマニュファクチャラーチャンピオンに輝いています。それにしても4WDを開発するまでの“時間稼ぎ”に、こんな本格的かつ美しいマシンを投入するなどさすがランチアです。
これがグループ4からグループBへの移行過程で繰り広げられたWRC史上に残る技術的な争いでしたが、4WDとミッドシップが、それぞれのメリットを武器に好バトルを繰り広げているなら、いっそこれを合わせたら…、と考えるのは必然。そして実際にプジョーがミッドシップ+4WDの205T16をリリースして王座を奪って見せると、ランチアもミッドシップに4WDをプラスしたデルタS4を投入。
さらに国際自動車スポーツ連盟(FISA。1993年に世界自動車連盟=FIAに吸収され、現在では世界モータースポーツ評議会が業務を引き継いでいます)がグループBをさらに先鋭化させたグループSの競技車両プランを提示したことで、新たなミッドシップ+4WDも企画されるようになりました。以前紹介したアウディ・クワトロRS002もそんな1台でした。
ここまで4WDvsミッドシップ後輪駆動の技術的論争と、をグループBからグループS(の構想)が誕生した時代背景を紹介してきましたが、ここからが今回の本論、トヨタが企画開発していたミッドシップ+4WDを紹介していくことにしましょう。