ミッドシップと4WD ふたつを併せ持つ「トヨタ・222D」
カローラ(TE27。国内名はカローラ・レビン/スプリンター・トレノ)で国際ラリーへのチャレンジを開始したトヨタは、WRCが開催されるようになる前年の1972年に参戦車両をセリカ(TA22)に変えて本格参戦を開始しています。
そして79年にはグループ4のセリカ(RA63)を投入。さらにセリカGT-TSをベースに、84年にはグループBのセリカ(TA64)を投入していますが、ここまですべてのモデルがフロントエンジンの後輪駆動でした。
そして、アウディ・クワトロやランチア・ラリー037の活躍に刺激されたトヨタは、次なる主戦マシンとしてミッドシップ+4WDを開発することになったのです。それが今回の主役、MR2をベースにしたトヨタ・222Dです。
当時のトヨタのラインナップで唯一のミッドシップだったMR2はカローラ(E80系)の4A-Gエンジンやトランスアクスル、フロントサスペンションを2座のコクピット後部に移設したパッケージ、これはフィアットのX1/9と同様の手法で仕立て上げられていました。
当然、4A-Gエンジンは横置きに搭載されていましたが、222Dではまずエンジンを3S-GTEにコンバートすると同時にマウント方法も、ベースと同様の横置きに加えて縦置きもトライされることになりました。横置きマウントであれば全長/シャシー/ホイールベースをコンパクトにできるメリットがあり、その一方で縦置きマウントにすればドライバビリティにおいてシンメトリカルなメリットが考えられたからです。
シャシーもコクピット部分を残してモノコックの前後部分を切り取り、新たにパイプフレームを組んで剛性を確保していましたが、リア部分をこうすることにによって、エンジンの横置きと縦置きに関しては、効率的に判断できるという狙いがあったのかもしれません。サスペンションもベースとなったMR2の前後ストラットから前後ダブルウィッシュボーンに変更されていました。タイヤが太くなる競技車両ではサスペンション・ジオメトリーの設計において自由度が高まるダブルウィッシュボーンが採用されれるケースが多いのですが、これもその一例となっていたのです。
ベースとなったMR2の基本シルエットを残しながらも、トレッドを広げるとともにラリー用の太いタイヤを装着するために、前後のフェンダーを大きくフレアさせたあたりは、グループBのホモロゲーションを受けたセリカ(TA64)に通じるものがありました。角形の2灯式ヘッドライトに丸型の大径補助ランプを追加したフロントビューも同様の手法でしたが、ヘッドライトと補助ライトを1枚のカバーで覆うことによってフロントビューの印象はひと味違うものとなっていました。