国産スーパーカーの先駆けとなったマツダらしい先鋭的構想
1970年10月末〜11月上旬にかけて開催された、第17回東京モーターショー。会場内のマツダブースに華々しく展示されたコンセプトカーが今回の主役、RX500でした。数年後に始まる空前絶後のスーパーカーブーム夜明け前に登場した「夢の塊」の実車を、幸運にも先日取材することに成功。ということで、気になるその仕様とそれにまつわる物語をご紹介していきます。
夢あふれる昭和のモーターショーでお披露目されたRX500
国産のスーパーカーといえば、当時京都に本拠を構えていた我が国屈指のコンストラクター「童夢」が、1978年のジュネーブショーで発表した「童夢-零」がその嚆矢とされています。2シーターでガルウイングドア(正確にはシザースドア)を持つミッドシップ・クーペは、ランボルギーニ・カウンタックから大きな流れを生んだ“スーパーカー”にカテゴライズされる要素を十分に備えていました。
しかし、それよりも10年近く前、1970年の東京モーターショーにて、国産初のスーパーカーと呼ばれるクルマがコンセプトカーとしてお披露目されていました。それがマツダのRX500といすゞのベレットMX1600でした。
この年の東京モーターショーには、他にも各メーカーから数多くのコンセプトカーが出展されていました。実戦登場が叶わなかったトヨタのレーシングカー「トヨタ7」の最終モデルと並行して開発したとされるグランドツアラーのEX7を出展、日産も4人乗りグランドツアラーの126Xと、発売されたばかりのチェリーからパワーユニットを移植したデザインスタディの270Xを参考出品。コンセプトカーとショーカー、あるいはプロトタイプカーなどそれぞれの定義は諸説ありますが、とにかく会場には“夢のクルマ”があふれていました。
それらはまたいずれ紹介することにして、今回はマツダのRX500を紹介していくことにしましょう。とくにRX500が印象に残っているのは、当時「夢のエンジン」と持て囃されマツダが社運をかけて開発し、コスモスポーツを皮切りにファミリア/プレスト・ロータリー、カペラ・ロータリー、ルーチェ・ロータリークーペとバリエーションを拡大中だったロータリー・エンジン(RE)搭載車のフラッグシップとして企画されたこともあり、リアリティのある“夢のクルマ”だったからです。
ちなみに、現存するマツダMX500は1台きりで、マツダから広島市の「公益財団法人/広島市文化財団」が運営する「ヌマジ交通ミュージアム」に寄贈され、いまも同博物館に収蔵されています。先ごろまで開催されていた「マツダとひろしまの100年」という企画展に展示されていましたが、それが終了したのち、一度収蔵庫に収められるのを機会に取材が許されることになりました。