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ル・マンを制覇したマツダ787B! 勝利に貢献した「影の立役者」ロータリーマシンとは

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: マツダ、Auto Messe Web編集部 米澤 徹

由良拓也デザインのマツダ737C

 1985年のルマンでC2クラスにエントリーしたマシン。ベースは1983年のル・マンでクラス優勝した717Cで、これはムークラフトの由良拓也がデザインしたボデイと宮坂宏が設計したシャーシに13Bを搭載したもの。この年のル・マンでは見事クラス優勝。1984年は717Cをモディファイした727Cで決勝15位・20位で完走。オートモビルカウンシルに展示されたマツダ737C 737Cは、その727Cのホイールベースを80mm延長して直進安定性を高め、ボディ剛性を強化した上で、軽量化も達成(730kg)。エンジンは300psの13Bで、一時はクラストップを快走していたが、ギヤボックス・トラブルでクラス3位(総合19位)でフィニッシュ。3年連続の完走となった。1985年のルマンに出場したマツダ737C ムーンクラフトとタッグを組んでのルマン挑戦は、この737Cがラスト。ボディがプライベーターのように真っ白なのは、ル・マン本番直前のイギリスのテストで燃料が漏れから火災が発生。本番ギリギリまで修復作業がかかったので、塗装が間に合わなかったとされる。オートモビルカウンシルに展示されたマツダ737C ちなみにマツダは、翌1986年からは、C2クラスではなく、C1クラスに757Cで参戦。747Cが欠番になったのは、1985年にデビューしたFC3Cの開発コードが「P747」だったため。

ル・マンをついに制覇した787B

 そして787B。ポルシェ、メルセデス・ベンツ、ジャガー、プジョーなどの世界の強豪に競り勝って、ついにル・マン24時間レースを制した栄光のマシン。翌年からレギュレーションが変わり、レシプロのNA3.5L以外のエンジンはNGとなるタイミングで、マツダが執念でラストチャンスをものにした。オートモビルカウンシルに展示されたマツダ787B エンジンは4ローターのR26Bを搭載。9000rpmまで回り700psを発揮するエンジンが、24時間ノートラブルで回り続けたことが大きな勝因のひとつだった。またロータリーエンジンは振動が少なく、ドライバーの疲労軽減というメリットでも優れていた。1991年のルマン24時間に参戦したマツダ787Bのエンジン シャーシ設計はイギリス人のナイジェル・ストラウドが担当。前年モデルの787の改良型で、トレッドを拡張しコーナリングスピードを重視。ルマンを制したクルマでは、はじめてカーボンブレーキ(ブレンボ製)を装着したマシンでもあった。オートモビルカウンシルに展示されたマツダ787B 決勝の最後の3スティントは、ジョニー・ハーバートが担当し、ゴール後脱水症状で倒れた彼は、表彰台にあがれなかった……。のちに787Bはレストアされ、2011年にル・マン サルテサーキットをデモラン。このときハーバートもステアリングを握り、幻の表彰台に登っている。2011年にルマン サルテサーキットをデモランした様子

 今回は展示のみだったが、いつの日か3台が並んでサーキットを走り、レーシングロータリーサウンドを響かせ走る姿を見たいと思った人が多いはずだ。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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