シャコタン&引っ張りタイヤでアピール
では走りに重要な足まわりはどうだったか。
今でこそ少し車高は高めでストローク量を確保するのが、コントロールしやすく競技に向いたスタンダードな仕様。しかし昔の「ドリ車(ドリフト仕様のクルマのこと)」はベタベタのシャコタン、鬼キャン、深リム、引っ張りタイヤが王道。 走りづらさやマフラーを擦るデメリットはあっても「カッコいい」が優先。ドリフトで車両を振りまわす技術や下まわりから飛び散る火花を「勲章」と思っているドライバーも多かったはず。事実、走行中に火花を派手に飛び散らせるアイテムも販売されていた。ホイールはロンシャンXR-4、RSワタナベ8スポーク、SSRフォーミュラメッシュなどが人気だった。またシルビアや180SXを中心にR32スカイラインGT-Rの純正ホイールを流用することも多かった。残念ながら、あまりにもR32のホイールが人気で、盗難されるなどの事件が多発した時期でもある。
「いかに滑らせるか」で廃タイヤが人気に
現在の「競技」となって、前後とも同一ブランドでハイグリップタイヤが当たり前だが、昔はグリップさせたいフロントも中古、リヤに至っては中のワイヤーが出るか出ないかの廃タイヤを選ぶユーザーも多かった。当時はエンジンノーマルでパワーを上げていない場合も多く、リヤタイヤはグリップしないほうが容易にドリフトできたのだ。
現在の競技では車速も重要な審査の基準になるし、追走となれば相手に離されないことも必要。しかしそれはドリフトの技術が全体的に向上し成熟したからこその話だ。
昔はタイヤスモークを激しく出して、コーナーをドリフトすることがギャラリーに受けまくった。だから行きつけのガソリンスタンドで廃タイヤを無料でもらったり、ローパワーの車両なら古いスタッドレスを使うなんて人もいた。大きな大会前にはその廃タイヤをさらに水につけ、カチカチに硬くして挑むなどの強者もいたのだ。
ホイールサイズも純正もしくは1インチアップ程度で、深リムのホイールに引っ張って履かせる。キャンバーもピロアッパーマウントは全開で、取り付けブラケットを長穴に加工したり、あの手この手で『ハの字』を切らせていた。
タービンやブレーキも他車種を流用
エンジン系もマフラー・エアクリーナー・コンピュータという三種の神器で、ターボ車ならブーストアップやせいぜいポン付けタービン交換までが圧倒的な多数派。違うエンジンに載せ替えるなんてレアケースだし、パワーも400psもあれば「スゲ~」と話題になったと記憶している。
S13シルビアや180SXなら、S14シルビアやパルサーGTi-Rの純正タービンか、HKSのGT-SSもしくはトラストT517Zに交換すれば、いっぱしの「ドリ車」となった。
前置きインタークーラーが増えたのもこの時代だったはずだ。マフラーはそれまでのメインストリームである大口径&砲弾型から、ローダウンが激しくなるにつれ路面に擦りにくいデュアル出しや、小さめのサイレンサーへと移り変わる。パイピングをボディ側へ近付けたり、フランジの形状をできる限り小さくするなど、低い車高に対応するため各メーカーが努力を重ねていた。
ブレーキも社外のビッグキャリパーはあまり見かけず、シルビアや180SXにGT-R純正やAE86にFC3S純正の流用が多い。これもエンジンのチューニングが過度に進んでおらず、ブレーキの負担がさほど大きくなかったことが主な理由だろう。
ドリフトのきっかけ作りに使うサイドブレーキも、最近の本格的な競技車では大半が油圧式を採用しているが、以前はリヤのブレーキパッドにロックしやすいジムカーナ用を使ったり、ロックボタンをフリーにする『スピンターンノブ』が一般的だった。数え切れない試行錯誤や発展途上の時代を経て、現在のような世界基準ともいえるドリフト仕様に進化した。
黎明期はかなりアンダーグラウンドな世界だったが、それがまだ少しだけ許されていた時代。今より「ドリフト」が身近な存在だったのである。